リアルJWならびに強制服従JWネグレクト被害2世のみなさんこんにちは。

東京は連日の暖気でどこもかしこも桜は満開です。





 今日は他者との距離についての考察です。無二の親友という言葉がありますが

ワカリミにとって無二の親友は家内です。40年の戦友であり同志であり血肉を分けた

兄弟です。辛い時期に支えてもらいました。子育ても悩み抜いて育て上げました。

 

 ワカリミはそのような伴侶を頂いた事を創造者に心から感謝しています。

しかし残念ながら他に親友はいません、高校の同級生はJWですが、相変わらず

組織礼賛で彼と心が通い合う事はありません。苦楽を共にしたものの多くの

「統治体の証人達」とはおよそ友にはなり得ないのです。心の距離ができてしまいました。


 聖書にはいきなりその距離が近づいた例が出て来ます。12使徒のナタナエルです。




 イエスを胡散臭いインチキ人物とみなしていましたが自分が秘密裏にしていた何かの善行

(多分、祈りと言われている)を褒められて、目から鱗が落ちたようにイエスとの距離を縮める

事になりました。


 逆も大いにあります。本人はその人が親友と言いますが、その人はそう思っていない場合

です。「統治体の証人」全ては自分たちを「創造者の証人」と自負していますがどう見ても

創造者との距離が近い人を見た事がありません。


 「創造者との距離」が遠い人と交友関係をもつ事は不可能です。ブロガーさんも

素晴らしいブログを書かれる方が多勢おられますが、「創造者との距離」が遠い方

のブログに共感する事は難しいと言わざるを得ません。


 ナタナエルのように心の琴線に触れる様な出来事がない限りその人との距離は

縮まりません。奇跡が起きなくても創造者との距離を詰める事は可能です。

そのために聖書が用意されました。



 とりわけ福音書は心の琴線に触れる記述が満ち溢れています。



 翻訳ではダメです。何のことだかピンと来ません。

嘆き悲しみの原語は「ペンソウンテス」です。意味はもっと深いです。


 

 「ペンソウンテス」は動詞「ペンセオー」の語変型で原義は「人の死」を悼むです。

ここでイエスが言われた原義は「嘆き悲しむ」よりもっと深い「人の死に面して嘆き

悲しむ」人、展訳すると「喪に服している人」は「必ず慰めを受ける」ので幸福でいられる

という意味になります。


 人の死という壮絶な悲しみに、例え面しても勇気を与えてくれる言葉となっており

イエスと創造者の親切心を味わうことができます。


 創造者との距離を詰めるには子供の誕生など奇跡的な事も寄与しますが、奇跡には

賞味期限があります。しかし聖書を読み続ける事には賞味期限がありません。



 創造者との距離が近い人は魅力的でイエスのような人です。

JW日本語新世界訳を何度読もうと創造者との距離は近づきません。

混ぜ物が混入していて無添加ではないのです。統治体の証人で「私は聖書をこれまで

500回通読した」と豪語しているバカがいますが、おおよそ創造者との距離は掛け離れていて

イエスのような人ではなく、パリサイ人のような奴です。


 殆どのエセJW「統治体の証人」達がバカでイエスとは掛け離れている理由は彼らが

み言葉聖書に属する無添加栄養素を慕う気持ちがなく、心の琴線に触れる無添加聖書

を読む習慣がない事です。その習慣がない限り、人はすぐバカになり堕落します。


 これからも心の琴線に触れる創造者の口から出るすべての言葉で自分を養いましょう。

それによって成長し、創造者との距離を縮め、救いに至る事になります。