台風それて一安心の皆様こんにちは。

 

 ミキさんの英霊のブログを読んで、癌で死んだ姉の事

を思い出しました。私が高2のとき姉は22歳の若さで

逝きました。18で子宮癌の大手術、死線を彷徨い、全摘で

3年以内に転移がなければ回復、しかし3年目に胃に転移、

再手術か悩みますが、輸血して決行しても保証なしで、

殉教を選択、死の数日前に偶然集まった親族を前にして

彼女は言い放ちます「私は死は怖くない!しかしみんな

に会えなくなる事には耐えられない!だから是が非でも

忠実を保って欲しい!先に行って、待っているからね!」

素晴らしい美談です。しかしこれは1975年前のJWが

1番高揚していた時の事でした。

 

 私、思いやり深い親父は現在のJWが戦前の日本国民に

類似していると述べましたが、今の「朝ドラ」の主人公が作曲

した「露営の露」はJWの賛美歌に通じる物があります。

JWとして軍歌を忌避してきましたが、改めて見ると

驚くべき類似を発見できます。替え歌と一緒に、

   ここに敢えて載せます。

 

   <露営の歌>        <末端開拓者の歌>

勝って来るぞと 勇ましく   名を挙げるぞと 勇ましく
ちかって故郷を 出たからは  ちかって必要に 出たからは
手柄たてずに 死なれよか   会衆立てずに  死なれよか
進軍ラッパ 聴くたびに    賛美の歌を   聴くたびに
まぶたに浮かぶ 旗の波    まぶたに浮かぶ インタビュー

土も草木も 火と燃ゆる    土も草木も  ぼうぼうの
果てなき荒野 踏みわけて   果てなき田舎 踏みわけて
進む日の丸 鉄かぶと     進むネクタイ ヘルメット
馬のたてがみ なでながら   バイクにガソリン 入れながら
明日の命を 誰が知る     明日の朝飯  何食べる

弾丸もタンクも 銃剣も    雑誌も書籍も 伝道バックも
しばし露営の 草まくら    しばし露営の 草まくら
夢に出て来た 父上に     夢に出て来た 母親に
死んで還れと 励まされ    死んで還れと 励まされ
さめて睨むは 敵の空     さめて睨むは 未割り当て

思えば今日の 戦闘に     思えば今日の 伝道に
朱に染まって にっこりと   日焼けの顔に にっこりと
笑って死んだ 戦友が     笑って死んだ パートナー
天皇陛下 万歳と       ブルックリン 万歳と
残した声が 忘らりょか    残した声が  忘らりょか

戦争する身は かねてから   伝道する身は かねてから
捨てる覚悟で いるものを   捨てる覚悟で いるものを
鳴いてくれるな 草の虫    鳴いてくれるな 草の虫
東洋平和の ためならば    ハルマゲドンの ためならば
なんで命が 惜しかろう    なんで命が   惜しかろう

 

 露営の歌は敗戦とともに、タブー視されました。

JWの末端の歌は1975年以降今日に至るまで、末端開拓者

の末路の発端を明らかにしております。

 

70年、80年、90年代までは末端は信じて疑わなかったのよ!

 

 その後開拓者学校の同期達は

悲惨な人生を歩むを余儀なくされました。1975年前に逝った

殉教の姉はヒーローでしたが、同じく胃癌で2018年逝った

学校同期の姉妹は治療費が捻出できず、なんの治療も施される

事もなく、会衆からも、親族からも、同期開拓仲間からも

なんの支援も受ける事なく寂しい死を遂げました。

その会衆ではその事はまるでなかった事の様に扱いました。

 

 彼女は心の麗しい控えめな方で私たち夫婦が見舞いに

行くまで、待っていてくれて、私たちの声には反応されました。

リュウマチを患われているのに最低10年は正規開拓ガンバルと

言われて、やり遂げられました。彼女が天に積んだ宝は

どこに行ったのでしょう?1番報われるべき人がなぜ

この様な仕打ちを受けなければならないのでしょう?

 

 それは簡単、彼女のいた所が男娼帝国バビロンだった

からです。

 しかも​彼女​の​中​に​は,預言​者​と​聖​なる​者​たち​の[血],そして​地上​で​ほふら​れ​た​すべて​の​者​の​血​が​見いださ​れ​た​の​で​ある」啓示18:24

 

 私たちはJWと彼女の会衆が彼女にした仕打ちを決して忘れません!

 

 彼女と私の姉は復活して来るのでしょうか?多くの方が

否定されるかもしれませんが私はお二方の是認を受けた2人が

復活して来ると信じています。2人にその後の事を報告します。

 

 楽しみだな〜‼️