平成10年の七夕、13名の子どもでスタートした道場。その13名。次の日には半数になり、新たに7名が体験。半月後には最初のメンバーの中で、小学1年の女子が1名。2度目に体験に来た中で3名。1ヶ月が経過した時に落ち着きだした(2代目キャプテンが努力していたことは誰も知らない)。
※約1ヶ月、毎日、筋力トレーニングと基本の繰り返しで、メンバーが入れ替わるため、同じ事の繰り返しであった。
ある中学3年の女子Y・B。小学生時代に剣道を習っていたが、右アキレス腱を断裂し剣道を辞めることになった。空手を始めるように誘うと、「格闘技は大好きだが、足が・・」と靴下を脱いで見せる。傷跡が痛々しい。「どっちを向けると痛い?」と聞くと、「もう痛みはないけど、怖い」と。「空手は剣道と違い、左右対称の動きだから、構えも変えることができるよ。自分の出来る運動をすればいいからやってみないか?」と言うと「親とも相談しないといけないし、考えさせて」と。
(実はこの時、この子に対して何かを感じていた。ただ漠然と『この子、やらせてみると強くなる。』と感じた。)
彼女は3回目の練習から参加し始めた。運動感覚が抜群にいい。少しコツを教えるとすぐにやってしまう。それを横目で見ている小学5年の女子Y・S(2代目キャプテンで、夏休みには、毎日宿題をやりに来て、3時過ぎから5時過ぎまで練習に付き合わされた。)。同じ事をやっている。
9月の昇級試験。始めて2ヶ月強。緊張しながら受けたY・Bは・・なっ、何と!!いきなり色帯に。当の本人もビックリ。師範曰く「経験者か?上手すぎる」と。それだけではなかった。受験者の殆どが飛び級。(Y・Sが密かに闘志を燃やしていたことに気づいていなかった。)
結果発表の練習日、自分が休んでも練習ができるように弟子に相談。結果、キャプテンを決めることとなる。Y・Bの同級生2名。以下小学5年生4名、小学3年生3名の話し合いの結果、全員一致でY・Bを初代キャプテンに。この子がこの後凄いことをやってしまう。
3ヶ月が経過した頃、職場に恵まれていたこともあり、生徒は40人近くになっていた。ただでさえ狭い体育室。それなのに、私は、この子と思った子をどんどんと(半強制的に)やらせていった。
一年が経過した頃、師範から「大学生の大会に出してみないか?」と相談を受け、Y・Bに話すと「足のことがあるし、今度、切ったら松葉杖になるし、親も猛反対してるし。」「自分はどうなんだ?」「出てみたい。」「じゃあ出よう。」「足は?」「心配ない。これから特訓だ!」
右構えに立たせ。左足を前に踏み込んでの二連突き。前に突っ込み右足での前蹴り。これを繰り返し、決して跳ねないように注意。試合に出させた。
試合当日、小学6年になったY・Sと同級生、見てる前で大学生を相手に、3位に入賞。賞状を手にしたY・B。「先生、私、生まれて初めて賞状貰った。宝物!師範、ありがとうございました。」大学の部員に囲まれY・Bは照れまくり。
(良かったね。)これを見ていた小学6年のY・S、「先生、あの攻め方、特訓して!」私は後日、地獄を見た。
高校2年の春休み前。Y・Bが練習後泣いている。「先生、お別れ。」「えっ?」「お父さんの仕事の都合で県外へ行かなきゃならない。」「学校は?」「転校する。」私はY・Bの自宅へ行き、母親と話をしたが・・・「どうにもならないので、申し訳ない」と。
私はY・Bに「会うは別れの始めなり。いつかは必ずお別れするんだ。人生が終了する時にね。どこへ行っても頑張る心を忘れないようにね。生きていれば又会えるから。」
Y・B・・風の便りに聞いたところ、中学生の時に夢見ていた「婦人警官」になって頑張っているらしい。
初代キャプテンから指名を受けた二代目キャプテンY・S。統率力と説得力が素晴らしい。3年目に入った道場の生徒70名を引っ張っていってる。約1名を除き、号令一つで全員が動く。(この約1名、M・H私が感じたものがあり、小学5年の冬休みに本人が拒否するにも関わらず、無理にさせたので仕方がない。)どうも、同級生が引っ張っているのが気に食わないらしい。私が注意すると「辞めてやる」と脅す。弱みを握られてしまった。
私はなぜかM・Hに引き付けられ、M・Hの保護者に頼み、M・Hの親戚の男の子にも頼み、ようやく入部させた経緯をもっているの。「何で?」そこまで、と周囲からも、子ども達からも「えこひいき」と見られてまでもM・Hを辞めさせたくなかった。(このときは、周辺や職場の同僚から俗に言う「マザコン」と見られ注意を受けたが、それでも「自我」を押し通した。
学校の先生や、職場の者がM・Hを叱ってもかばいまくった。二代目キャプテンからも弟子たちからも、師範からも注意を受けたが、私は堪えつづけた。そのせいか、M・Hが反抗期に入ってから、誰が言っても言うことを聞かないのに、私には従順に従い、素直であったが。
あるとき、二代目キャプテンが指導のことについて意見したことがあった。Y・Sの言うことは筋が通っており、間違ってはいない。しかし、言い出したら聞かないところもあるので「Y!今君は誰に空手を習ってるんだ!先生の言うことが納得できないなら、辞めればいい。習っている間は、先生の言うことを聞くのが当たり前だろう!」と、つい怒鳴ってしまった。Y・Sは素直に引き下がった。それから先は口答えをすることはなかったが、「先生なら私の疑問や、悩みを解決してね」と言われた。
中学校の大会に出場するために、団体を組むことになり、私はわざとM・Hを指名した。Y・Sは「他の者より遅れて入った子をメンバーに入れたら、早くからやってる子が可愛そうじゃない」私は「じゃあ、勝てなくてもいいな?」Y・Sは「絶対に勝てるの?」。私「絶対に勝つ。疑問を持ったら負ける。」Y・S「わかった。M!練習するよ。やる限りは絶対勝つんだ。」M・H「そんなこと、言われんでも分かってる。それより、私に合わせられるん?」(あー怖い。女のバトルしてる)Y・S「どっちが!やるよ!」間に入った気の弱いH・Nしぶしぶついて行く。Y・Sは残ったM・Yに「あんたも悔しかったらメンバーの座を取ったるという気持ちで練習せんとアカンで!やってる者はわからんから、見ててどこが悪いか教えて。」(私は、4人に任せておき、他の生徒の指導に入った。)
大会前日、Y・Sが練習前にやってきて「先生、M・Hとやりたくない!M・H、学校でも皆に嫌われて、友達もできない。私らがかばうようにしたら、皆怒ってくる。関わりたくない」と。「すまん。我慢してくれ。何故、先生があの子に目をかけているか、Yなら二年後に分かる。黙って先生を信じてくれ!」Y・S「わかった。頑張ってみる。他のメンバーにもそう言っとく!」
このような事態が続いたが、中二になった3人。全中をかけての予選。(私は子ども達に、手の届かない先生の指導を受けられたら、受けさせてやりたい。Nチームのコーチと知り合えたら。と弟に常々話していた。)会場で試合開始を待っている時、入り口から入ってきた一人の女性。『?見たことあるような・・』。その女性、大会本部へ行って何か話ししている。っと近くを通った保護者『NチームのY先生来てる。・・・』!!!!!そうだ!雑誌で見たことがあったあの先生。で、振り返ると、大会本部の先生が「こちらの先生です」。女性が一礼。私は何が起こったのかわからず・・・・・放心状態。そこへ3名が戻って来て「先生、だあれ?」。とっさに「挨拶せんか!」怒鳴ってしまった。
その先生「まあまあ。」と。「実は、弟さんから兄弟高校のM先生に、今日和歌山で予選会があるから、暇と興味があったら見に行ってやって欲しいと連絡が入り、そのMは予定がって来られませんでしたが、弟さんが言うからには何かあると思って見に来ました」とのこと。「弟さん、その会場に下手糞な選手を連れてきてるから、笑いに行ってやってほしい、と。できたら声をかけてやってもらえたら、先生吹き出しますよ。と本当でした。」と満面の笑顔。
私は「出来そこないの愚弟がお世話になっています。空手界では、私は駆け出しです。先生のような方とお話できるような立場の者ではないですが、お会いできて嬉しいです。出来の悪い子ども達ですが見てやってください。」と。予選の結果は、まさかの全種目優勝。Y先生「先生、おっしゃてることと、やっていること違うじゃないですか!楽しみですね。あっ、そうだ。この夏から女子中学生を対象に合宿をやることになってるんで、ご都合よければ参加して下さい。当日はNチーム形のコーチも来ますし、Nチーム現役の選手も来てくれますので。ご案内を差し上げます。住所を教えて下さい。」と。
一体何なんだ?どうなっているんだ?その夜、弟に電話すると「兄貴、夢叶ったか?よかったな。頑張れよ」、「ありがとう」、「礼なんか言うな。兄弟だろ?」笑って電話を切った。が、この後妹までもが知人であったとは・・・・
次の年に事件勃発。同大会に再びY先生。試合が終わって「先生、あのM・Hさん、うちの学校へ来るように説得してもらえませんか?」社交辞令だろうと思ったが「何とか説得してください。本当に素晴らしい。どうしても欲しいんです。お願いしますよ。」と。
試合終了後、M・Hに話すと、「行かない」の一言。保護者も説得したが、「これだけは先生の言うこと聞けない。」
彼女の人生の岐路だった。Y・Sが「先生の言ってた事。分かったよ。M・H、私達にお礼言って来た。皆のお陰でここまでこれったって。私達、人の役に立ったんだね。」。「そうだよ。」
「ところで、Y、高校どうするんだ?」「私は獣医さんになって、黒人さんと結婚するんだ。だから、語学の学校へ行く。」
卒業後、Y・Sは大阪の外国語専門学校へ行き、海外留学。外国ではカンフーがはやっており、Y・Sの行った学校のクラスで、空手を習いに行こうということになったけど、「出来るよ」の一言で、友達がいっぱい出来たということである。
現在Y・Sはアメリカへ行き、獣医に関係する仕事につき、黒人さんと結婚にして、幸せに暮らしているらしい。
ところで、M・H、高校へ行っても空手が忘れられず、ちょくちょく顔を出していた。で、新人戦予選に出場。壇上にあるトロフィを見て、「先生、あの一番大きい分欲しい。」「簡単じゃないぞ」と言うと「絶対取るもん!」見事手にした。「私は欲しい物は絶対手に入れる。先生だって手に入れたでしょ。」笑う彼女は笑顔一杯。でも高校では・・・教頭先生から「どうして彼女は先生の言うことは素直に聞くんですか?」「理由は分かりません。ただ、父親みたいに思っているのでは?」に教頭先生「そうですか」。
この教頭先生に会わせてくれたのがM・H。知らなかったが2年連続剣道日本一で、私の大学の先輩(・・;)。
近畿大会会場。M・Hと保護者、私が観覧席で座っていると、M・Hに頭を下げていく子どもが・・・。「先生の知り合い?」「いいや、Mに頭下げてたぞ。Mの知り合いじゃ?」「知らないよ」通過するたび頭を下げる子どもが。中に近づいてきて「Mさんですよね。憧れの人と会えて嬉しいです。友達になって下さい。」と。M、「どうなってるの?まっ、いいや試合行ってくる。」
三代目キャプテンK・S・・・・と言うより、何時の間にか最上級生が引っ張っていってくれるようになり、わざわざ決める必要がなくなりました。
毎年、最上級生が引っ張っていってくれますが、この時になって、初めて私の気持ちを理解するようになります。と同時に自己反省も。「あんた達、うるさいのに、気合が何故出ないの?」とか「うるさい!黙ってやれ!」とか。中には「もうやってられない」と愚痴をこぼす子も。「先生、何とかならない?」・・・
私は弟子達に「先生がいない時は、黒帯が先生だよ。同じ色の帯を巻いてるだろう!黒帯の言うことは先生の言うこと。きちんと聞かないと上達しないよ。」と毎回言っているのだが。
目標となった二代目キャプテン。弟子達の殆どが「やさしい。教え方が上手い。強い。Yちゃんのようになりたい。」だったが・・・M・Hはきつすぎて。
ある日、練習に行くと、いつも騒がしいのに、なぜか静まり返っている。カレンダーと時計を確認したが間違いなく練習日である。道場へ入って行くと、顔を出したのがM・H。「こんにちわ!」と元気がいい。皆に「挨拶は?」ようやく小声で「こんにちわ」するとM・H「声が小さい!やり直し!」現役当時からは想像できない礼儀と言葉使い。練習を済ませた後、M・Hが「先生、一言、皆に言っていい?」と。「いいよ」と言うと、正座をしている後ろから「あんたら!先生の言うことを聞いてないらしいじゃないっ!あんたらは、先生に空手を教えてもらってるんだよ。誰がこんなうるさい連中を見てくれると思ってるの!これからは先生の言うことに大きな声で返事して、最初と帰るとき挨拶するんだよ。出来てなかったらぶっ飛ばすよっ!・・・先生、失礼しました。」
これには私がビックリ。M・Hに聞いてみると、「誰が何を言っても、私をかばってくれたのは先生だけ。大人は皆私を叱るだけでどうしたらいいか教えてくれなかった。私がへこんでる時も、我がまま言ってる時も、言葉遣いが悪い時も、どんな時でも聞き入れてくれてた。だから、先生の前では私は素直になれる。分かってくれてるから。・・その先生を馬鹿にする者は私が許さない。」
人は変わるものだと思い知らされた。で、三代目はキャプテンは受けなかったが、この血を引いているのか、以後、きつくなってしまい、子ども達は怖がるようになってしまった。
四代目は二代目の妹N・S。姉と違い、のんびりしていてマイペース。決して表情を表に出さない。姉がうるさいから空手を始めさせられ、何時の間にか癖になってしまったらしい。
五代目は、学年でたった一人残ったS・S(一人っ子のため、年下を育てるのが苦手)。大変だろうと思い後輩のN・Yに手伝うように。空手が好きで、内面に闘志を秘めている。試合で負けると、N・Yに負けないくらい泣き虫。
六代目は、N・Y。この子も私が学校の運動会で目をつけて、強制的にやらせた子。未だに本人は「なぜ空手をしているのか分からない」と言いながら、続けている。
七代目は気まぐれで、一年間、キャプテン不在。今年になってようやく目覚め、今意地になってやっているが、今年から道場のキャプテン、学校のクラブのキャプテン、小学部のキャプテンと3人にした。
歴代キャプテンは女子。学校のクラブ活動としてのキャプテン、初めての男子である。
これからも、いろいろな子ども達が習いに来るだろう。そして、歴史が積み重ねられることだろう。泣き、笑い、喜び、悲しみ、いつまでも子どもの気持ちを大切にできる指導者でありたいと思う。