新古今・1384 夢に見た彼(2の1)
《新古今和歌集・巻第十五・恋歌五》1384題知らず女御徽子(きし)女王寝(ぬ)る夢にうつつの憂(う)さも忘られて思ひ慰(なぐさ)むほどぞはかなき☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆題知らず女御徽子女王寝て見る夢で、現実のつらさも自然に忘れられて、心が慰められるようなことは、はかないことです。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎(※『和歌コード』とは、直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取ったしじまにこのオリジナル訳です。)題詞;題はつけないでおきます。『斎宮女御集』には詞書「久しく参り給はざりければ、上(うへ)の御夢(おほんゆめ)に見えさせ給ひければ」。=長い間、参内しませんでいましたところ、村上天皇が夢においでになったので、歌を詠みました。作者;(村上天皇の)女御・徽子(きし)女王夢の中であなた(=村上天皇)に逢うと現実世界の憂鬱やわずらわしいこと、つらいことも忘れられます。そんな夢の中のことであなたを恋い慕う気持ちを慰めて気を紛らわすのは浅はかで頼りにならないことですよ。(本当は、現実世界で逢いたいのです。)✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎この歌は、『斎宮女御集』では村上天皇への思いが詠まれています。『新古今和歌集』では、詞書が「題知らず」なので、村上天皇の死後に詠まれた可能性もあります。その場合は、「亡き天皇にもう一度逢いたい」というニュアンスになるでしょう。また、次の1385番(作者:大中臣能宣)がこの歌への返歌にも感じられます。徽子女王と大中臣能宣は、交流があったと資料にあります。徽子(きし・よしこ)女王:929年〜985年(享年57)。村上天皇の女御。三十六歌仙。女御三十六歌仙。948年、叔父・村上天皇に請われて二十歳で入内。『村上御集』等に残る天皇と妃たちの相聞歌の中でも、入内前の求愛の歌を始め徽子女王と交わした詠歌は群を抜いて多い。そのやりとりの睦まじさを見ても、徽子女王に対する天皇の寵愛が決して浅いものではなかったことが想像される。936年から945年まで伊勢斎宮として奉仕した。945年、母(藤原寛子)の逝去で斎宮を退去。村上天皇:926年6月2日〜967年5月25日(享年42)。在位:946年4月20日〜967年5月25日。天暦:947年〜957年。ぬる:寝る。濡れる。ゆめ:夢。夢のように儚いこと。不確かなもの。迷い。煩悩。うつつ:現実。現存。生身。正気。夢心地。夢まぼろし。うさ:つらいこと。つらさ。うし:つらい。情けない。憂鬱だ。わずらわしい。気が進まない。憎らしい。うらめしい。つれない。薄情だ。わす:いらっしゃる。おいでになる。わする:意識的に忘れる。自然に忘れる。おもふ:思う。考える。思案する。愛しく思う。恋をする。懐かしく思う。回想する。望む。願う。希望する。心配する。悩む。嘆く。苦しく思う。予想する。〜そうな顔をする。おもひ:思うこと。考え。希望。願望。願い。心配、悲しみなどの気持ち。もの思い。恋い慕う気持ち。思慕。愛情。予想。想像。喪中。喪に服すること。なぐさ:心を晴らすもの。慰め。なぐさむ:心が晴れる。気がまぎれる。心がやすまる。なごむ。気分を晴らす。心を楽しませる。気を紛らす。からかう。もてあそぶ。なだめる。ねぎらう。な:名称。名前。呼び名。評判。うわさ。名声。名ばかりで実質の伴わないこと。名目。虚名。な:おかず。野菜や山菜など。さかな。な:おまえ。あなた。なく:鳴く。亡く。泣く。無く。くさ:草。くさ:原因。たね。対象。種類。さむ:熱いものが冷たくなる。冷える。体温が下がる。高まっていた感情がしずまる。冷静になる。興醒める。さむ:眠り、夢、酔いなどからさめる。目覚める。悲しみ、迷いなどが消える。正常な心になる。ほど:とき。間。ころ。時分。しばらくの間。期間。年月。月日。距離。長さ。大きさ。広さ。高さ。あたり。付近。身分。間柄。年齢。程度。様子。ありさま。具合。(程度・範囲)〜くらい。はかな:はかないこと。はかなし:思い通りにならない。期待外れだ。心細い。弱々しい。もろい。頼りにならない。あっけない。無常だ。つかの間だ。たいしたことではない。幼い。未熟である。あさはかだ。みすぼらしい。卑しい。はかなし:墓無し。✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎『斎宮女御集』には詞書「久しく参り給はざりければ、上(うへ)の御夢(おほんゆめ)に見えさせ給ひければ」。「上」は村上天皇。下句「思ひ慰むほどのはかなさ」とも、「見るに慰むほどのはかなさ」とも。