《新古今和歌集・巻第十・羈旅歌》

 

907

題知らず

壬生忠岑

東路(あづまぢ)のさやの中山(なかやま)さやかにも見えぬ雲居(くもゐ)に世をや尽(つ)くさん

 

 

☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆

☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆

 

題知らず

壬生忠岑

東国への道の佐夜の中山よ。

都を離れて、今、ここまで来たが、

これから、はっきりとも見えない遠い旅の空で、

生涯を終えることであろうか。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

 

(※『和歌コード』とは、

直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。

この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った

しじまにこのオリジナル訳です。)

 

 

題詞;大姉(亡くなった人)に捧げる歌。

 

作者;壬生忠岑

 

 

東海道の難所に「さやの中山」があり、

夜になると泣き声がするという

「夜泣き石」があります。

 

「さやの中山」では

雲が多く積み重なっていて

 

雲の彼方に何があるのか

はっきりと見ることができません。

 

その光景は

まるで

 

女御を亡くされた天皇が

未来を鮮やかに見ることができず

「夜泣き石」のように

夜になると泣いている様子のようです。

 

しかし、天皇は

その御代を

 

生涯をかけて

素晴らしいものへと極め、

力を尽くされることでしょう。

 

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

作者の生きた時代を見ると、

宇多天皇、醍醐天皇周辺のことが

詠まれているはずです。

この歌は、

宇多天皇が女御(藤原温子)を亡くした時のことを

言っている可能性がありますが、

詳細は不明です。

 

 

壬生忠岑:860年頃〜920年頃(享年60前後)。

三十六歌仙のひとり。

『古今和歌集』の撰者。

 

藤原温子:872年〜907年6月8日(享年36)。

宇多天皇の女御。醍醐天皇の養母。

 

宇多天皇:867年5月5日〜931年7月19日(享年65)。

在位:887年8月26日〜897年7月3日。

899年10月24日:出家。仁和寺に入り、法皇となった。

 

 

あづま:東国。京都から鎌倉、または鎌倉幕府をさして言う語。

あづまぢ:京都から東国へ行く道。東海道。東山道。東国地方。

 

あ:足。脚。

あ:わたし。わたくし。われ。

あ:あれ。あちら。

 

つま:夫。妻。つがいの相手。

つま:着物の襟先から下のへりの部分。裾の左右両方の端の部分。

つま:はし。へり。軒先。きっかけ。糸口。手がかり。

 

さやのなかやま:夜になると泣き声がするという

夜泣き石があり、東海道の難所の一つ。

 

さやに:明らかに。鮮やかに。はっきりと。

さやか:視覚的にはっきりしている。明瞭だ。音が高く澄み切っている。明るい。

さやけさ:清く澄んで明るいこと。はっきりしていること。

 

なか:内部。うち。ある範囲内のもの。真ん中。中央。中間。途中。中旬。中位。中等。中流。またそのような人。多くのもののうちのひとつ(ひとり)。きょうだいのうちの二番目。関係。間柄。男女の間柄。

 

やま:山岳。比叡山。墓地。天皇の陵。多く積み重なっていること。憧れたりあおぎみたりするもの。物事の絶頂。物事の最も重要な段階。

 

みる:目にする。見て判断する。対面する。経験する。試みる。夫婦になる。世話をする。

 

みゆ:見える。目に入る。来る。現れる。思われる。感じられる。見かける。見なれる。人に見せる。人に見られる。人に会う。結婚する。

 

くもゐ:空。雲。遥か遠方。空の彼方。宮中。皇居。天皇。

 

よ:現世。御代。治世。一生。生涯。寿命。世間。俗世間。時節。男女の仲。夫婦の仲。生活。暮らし。

よ:余り。以上。ほか。

よ:私。

 

つくす:終わりにする。なくす。使い果たす。全部を出す。極める。

 

む:無。

む:〜う。〜だろう。〜よう。〜がよい。〜ませんか。〜ような。〜としたら。

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

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