《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》

 

803

雨中無常(うちゆうのむじやう)といふことを

太上天皇

なき人の形見(かたみ)の雲やしをるらん夕(ゆふ)べの雨に色は見えねど

 

 

☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆

☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆

 

「雨中の無常」という題を

太上天皇

亡き人の形見の雲がしっとりと沈んでいることであろうか。

夕暮の雨で色は見えないけれど。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

 

(※『和歌コード』とは、

直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。

この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った

しじまにこのオリジナル訳です。)

 

 

題詞;「雨中の無常」=「無常の命を思い、泣いている」

というテーマで詠みました歌

 

作者;後鳥羽天皇

 

 

日暮れ時に雨が降ったので

色合いはよく見えないのだけど、

 

亡くなった人の形見のような雲が

しおれて、

しぼんでしまったようです。

 

 

(1204年10月、寵愛していた更衣・尾張局が

私たちの子ども(朝仁親王)を出産して間もなく

亡くなりました。)

 

火葬の煙が

亡くなった人(尾張局)の形見のように

雲となって

空に浮かんでいます。

 

尾張局は

遺児(朝仁親王)を残して

雲の彼方へ

逝ってしまいました。

 

朝仁親王と私(後鳥羽院)は

 

涙でぼやけて心が晴れず、

元気がなくなり

しょんぼりしています。

 

雨が降る日暮れ時に

涙を

雨のように流しているので

 

雲の様子も

火葬の煙の様子も

よく見えないのだけれど、

 

天国に逝った母親の姿を

(現世では)

もう見ることができないので

 

暗い気持ちになって

涙を流しています。

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

この歌は、

尾張局のことを言っているとは明記していませんが、

801、802番からテーマが続いていると感じます。

 

後鳥羽天皇:1180年7月14日〜1239年2月22日(享年60)。

在位:1183年8月20日〜1198年1月11日(4歳〜19歳)。

高倉天皇の第四皇子。

後白河天皇の孫。

安徳天皇の異母弟。

 

尾張局:?〜1204年10月19日。

父は、藤原顕清。

後鳥羽上皇の後宮に入り、

1204年7月に朝仁親王(道覚入道親王)を出産。

 

なき:亡き。泣き。鳴き。無き。

 

かたみ:遺品。記念。

かたみに:互いに。かわるがわる。

 

かたし:壊れにくい。堅固だ。激しい。強い。

かたし:難しい。容易ではない。なかなかできない。めったにない。まれである。

 

くもる:雲が空を覆う。光や色がはっきりしなくなる。艶がなくなる。くすむ。涙でぼやける。暗い気持ちになる。心がふさぐ。心が晴れない。

くも:空の雲。雲のように見えるもの。心が晴れないこと。心の憂い。うっとおしいこと。火葬の煙。死ぬこと。

 

しをる:しぼむ。しおれる。気落ちして元気がなくなる。ぐったりする。しょんぼりする。

しをる:戒める。こらしめる。責める。折檻する。

しをる:山道などで木の枝を折って道しるべとする。道案内する。

 

をる:波が折り砕ける。曲げる。折り曲げる。折りとる。折り畳む。折り目をつける。気が挫ける。負ける。

 

らむ:今ごろは〜ているだろう。どうして〜のだろう。〜とかいう。〜ような。

 

ゆふ:日暮れどき

ゆふ:縛る。ゆわえる。髪を結ぶ。組み立てる。

 

ゆふべ:夕方。夕暮れ。昨晩。

 

あめ:天。空。天上界。

あめ:雨。涙。

 

いろ:母親が同じ関係にあること

いろ:色彩。色合い。階級によって定められた衣服の色。喪服の色。喪服。顔色。表情。顔立ちや姿。美しい容姿。華美。華やかな色艶。気配。様子。風情。やさしさ。思いやり。情味。恋愛。女性。種類。たぐい。

いろ:天皇が父母の喪のはじめの十三日間こもる仮屋。

 

いろは:うみの母。生母。

 

みる:目にする。見て判断する。対面する。経験する。試みる。夫婦になる。世話をする。

 

みゆ:見える。目に入る。来る。現れる。思われる。感じられる。見かける。見なれる。人に見せる。人に見られる。人に会う。結婚する。

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

『後鳥羽院御集』によると、

本集が公的に成立したあとの

1206年7月中の「和歌所当座歌合」の作。