《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》
801
十月(かみなづき)ばかり、水無瀬(みなせ)に侍りしころ、
前大僧正慈円のもとへ、「濡れて時雨の」など申し遣はして、
次の年の神無月に、無常の歌あまたよみて遣はし侍りし中に
太上天皇
思ひ出(い)づる折(を)り焚(た)く柴(しば)の夕煙(ゆふけぶり)むせぶもうれし忘れがたみに
☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆
十月ごろ、水無瀬にいましたころ、前大納言慈円にもとへ、
歌で、「濡れて時雨の」などと申し贈って、
次の年の十月に、無常の歌をたくさん詠んで贈りました中に
太上天皇
亡き人を思い出す折に、折って焚く柴の夕煙よ。
その夕煙にむせぶことも、
火葬の煙にむせび泣いたことが思い出されてうれしい。
亡き人が忘れがたいので、その夕煙を形見として。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
(※『和歌コード』とは、
直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。
この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った
しじまにこのオリジナル訳です。)
題詞;1204年10月頃、
(10月=神も天皇もいない神無月)
水無瀬離宮(=後鳥羽院の離宮)に居りました。
(「水無瀬(みなせ)」という地名は、
「表面には見えないが、砂の下を川が流れている川
=顔は泣いていないが、心の中で泣いている」ことを暗示する)
その頃、前大僧正慈円の所へ
「濡れて時雨の」
=「なんとまた忘れて過ぐる袖の上に濡れて時雨の驚かすらむ」
(後鳥羽院が寵愛していた尾張局が亡くなったので
泣き続けている意)
などの歌を詠んで贈りました。
翌年の神無月に、
この世の無常・人生の儚さを
たくさんの歌に詠んで慈円のもとに持って行かせました。
その中の歌。
作者;後鳥羽天皇
去年の10月、
寵愛していた更衣・尾張局が
(私たちの子どもを出産して間もなく)
亡くなりました。
喪中が終わっても
まだ彼女のことを
恋しく、懐かしく思い出しています。
この時期(彼女が亡くなった10月)になると
しきりに彼女のことを思い出し、
波が寄せ返すように心が挫けて
涙がこぼれます。
この離宮に居て、
彼女のために香をたき、
小さな柴を折って燃やす夕煙が
火葬の煙のように思えて
苦悩・苦しみの気持ちが増し、
のどを詰まらせるように
むせび泣いています。
ありがたいことは
彼女が私たちの子ども(朝仁親王)を
残してくれたことです。
こうしてむせび泣きながらも
子どもの姿を見るとありがたいと思えるし、
彼女のことを
忘れることができませんよ。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
後鳥羽天皇:1180年7月14日〜1239年2月22日(享年60)。
在位:1183年8月20日〜1198年1月11日(4歳〜19歳)。
高倉天皇の第四皇子。
後白河天皇の孫。
安徳天皇の異母弟。
尾張局:?〜1204年10月19日。
父は、藤原顕清。
後鳥羽上皇の後宮に入り、
1204年7月に朝仁親王(道覚入道親王)を出産。
ばかり:〜くらい。〜ほど。〜ころ。〜だけ。〜ばかり。
みなせがは:水のない川。表面には見えないが、砂の下を川が流れている川。
みなしがは:水のない川。天の川。銀河。
みなす:見なす。見届ける。世話をする。育て上げる。
みな:全部。みんな。すっかり。ことごとく。
濡れて時雨の:「なんとまた忘れて過ぐる袖の上に濡れて時雨の驚かすらむ
(源家長日記)」後鳥羽院の愛した更衣、尾張局が亡くなった時の悲しみの歌。
まうす:申し上げる。お頼み申し上げる。お祈り申し上げる。〜して差し上げる。申します。呼びます。お〜する。
つかはす:お送りになる。おつかわしになる。おやりになる。お与えになる。行かせる。与える。贈る。お使いになる。
あまた:数多く。たくさん。大勢。とても。非常に。たいへん。
おもひいづ:思い出す。思い起こす。
おもふ:思う。考える。思案する。愛しく思う。恋をする。懐かしく思う。回想する。望む。願う。希望する。心配する。悩む。嘆く。苦しく思う。予想する。〜そうな顔をする。
おもひ:思うこと。考え。希望。願望。願い。心配、悲しみなどの気持ち。もの思い。恋い慕う気持ち。思慕。愛情。予想。想像。喪中。喪に服すること。
いづ:出る。現れる。出発する。人に知られる。離れる。逃れる。
をる:波が折り砕ける。寄せ返す。曲げる。折りとる。たおる。折り畳む。折り目をつける。気が挫ける。負ける。
をり:その時。その際。場合。機会。季節。時期。
をり:存在する。座っている。〜し続ける。
たく:燃やす。香をくゆらす。香をたく。
たく:髪などをかきあげる。束ねる。馬に手綱を操る。舟の櫂や櫓を操る。舟を漕ぐ。
しば:小さな雑木。柴。
しば:雑草。
しば:たびたび。しきりに。しばしば。
ゆふ:夕方。
ゆふ:結ぶ。しばる。ゆわえる。髪を結ぶ。髪を整える。組み立てる。
けぶり:煙。火葬の煙。死。かまどの煙。暮らし。水蒸気、ほこり、霞など。草木の新芽。苦しみ。苦悩。
けぶる:煙が立ち昇る。ほんのりと霞んで見える。ほんのりと美しく見える。火葬にされて煙になる。
むせぶ:喉に詰まる。咳き込む。むせる。のどを詰まらせたように泣く。むせび泣く。むせび泣くような声や音をたてる。流れがつかえる。
うれし:喜ばしい。愉快だ。ありがたい。かたじけない。
うれ:葉や木の枝の先端。こずえ。
うれ:きさま
うれ:「得」の已然形。:手に入れる。身に受ける。すぐれる。得意とする。理解する。さとる。〜ことができる。
わすれがたみ:忘れないために残しておく記念の品。亡くなった人の記念となるもの。親の死後に残された子。遺児。
かたし:壊れにくい。堅固だ。激しい。強い。
かたし:難しい。容易ではない。なかなかできない。めったにない。まれである。
わすれがたし:忘れ難い。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
『源家長日記』に記されているこの時の作はすべて、
更衣の死を嘆いてのもの。