《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》
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嘆くこと侍りけるころ、五月五日(さつきいつか)、
人のもとへ申し遣はしける
上西門院兵衛(じやうさいもんゐんのひやうゑ)
今日来れどあやめも知らぬ袂(たもと)かな昔を恋ふるねのみかかりて
☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆
悲しむことがありましたころ、
五月五日に、人のもとへ申し贈りました歌
上西門院兵衛
五月五日の端午の節句の今日は来ましたが、
悲しみで、あやめにも気づかず、
ものの区別も分からないほどに
涙で濡れる袂であることです。
故人生前の昔を恋しく思って泣く音(ね)ばかりがかかって。
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✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
(※『和歌コード』とは、
直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。
この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った
しじまにこのオリジナル訳です。)
題詞;悲しい出来事がありました。
(禧子(きし)内親王が病気のために早世されました。)
端午の節句の五月五日に、
ある人(作者が仕えていた藤原璋子か?藤原璋子は禧子内親王の母)
のもとへ歌を詠んで贈りました。
作者;上西門院兵衛
今日は、五月五日。
邪気を祓うための行事を行う「端午の節句」です。
(去年の10月10日に禧子内親王が早世され、
今日の端午の節句をともに過ごすことができません。)
心が乱れ惑い、
涙で目が見えなくなる日々を過ごしながら
今日の日を迎えました。
禧子内親王は
今日の菖蒲(あやめ)を見ることができないし、
今日のための
華やかな錦の薬玉の模様(あやめ)も
見ることができません。
亡き禧子内親王を偲び、
懐かしく、恋しく思い出す泣き声ばかりが
着物の袖にかかります。
涙が袂に落ちかかり、
神仏に懇願するばかりです。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
上西門院兵衛:?〜1184年頃。
女流歌人。
後鳥羽院の中宮だった藤原璋子(待賢門院)に出仕。
後に、待賢門院の皇女で、斎院を退いた後の
上西門院(統子内親王)に出仕した。
1160年、上西門院の落飾に従い出家。
藤原実家、藤原惟方、西行など歌人と交流があった。
禧子(きし)内親王:1122年6月27日〜1133年10月10日(享年12)。
鳥羽天皇の第一皇女。
母は、藤原璋子(待賢門院)。
同母兄に、崇徳天皇。
病気のため、早世した。
五月五日:端午の節句。
この日、邪気を除くために、菖蒲や蓬を軒や簾に飾る。
また、種々の香料を錦の袋に入れ、
五色の糸で美しく飾って菖蒲や蓬を添えた薬玉を、
軒や簾や袖に飾る。
けふ:今日。
げふ:仕事。職業。
くる:目が眩む。涙で目が見えなくなる。心が乱れまどう。理性がなくなる。
くる:日が暮れる。終わる。過ぎる。
くる:与える。やる。くれる。
く:来。
あやめ:織り目。模様。物の形や色の区別。物事の筋道。道理。分別。
あやめ:しょうぶ。剣状の葉は芳香が強く、邪気を払うとされ、五月五日の端午の節句には魔除けとして軒や髪に挿して飾った。
あやす:涙などを流す。したたらせる。
め:女。女性。妻。夫人。
め:目。視線。まなざし。見分けること。見抜くこと。見方。出会い。事態。境遇。顔。姿。隙間。網目。
しる:愚かになる。ぼける。ぼんやりとなる。物好きである。いたずら好きである。
しる:理解する。わきまえる。経験する。体験する。世話をする。面倒をみる。交際する。つきあう。分かる。世間に知られている。
しる:統治する。治める。領有する。
たもと:袂。
むかし:過去。以前。故人。前世。
むがし:喜ばしい。うれしい。ありがたい。
こひ:懐かしく恋い慕うこと。思い慕うこと。異性を思慕する感情。恋愛。
こひし:強く心が惹きつけられる。慕わしい。懐かしい。恋しい。
こふ:神仏に乞い願う。祈願する。求める。欲しがる。
ね:音。鳴き声。泣き声。
のみ:〜だけ。〜ばかり。とりわけ。特に。ただもう〜する。ひたすら〜である。〜するばかり。
のむ:頭を垂れて祈る。懇願する。
かかる:ぶら下がる。もたれかかる。よりかかる。頼みにする。世話になる。頼る。すがる。目につく。心にとまる。船が停泊する。覆い被さる。雨や雪が降りかかる。涙などが落ちてかかる。雲などがなびく。関係する。かかわる。かかりっきりになる。熱中する。悪いことが身に降りかかる。巻き添えをくう。出くわす。危害をうける。殺される。傷つけられる。攻めかかる。襲いかかる。ある場所にさしかかる。通りかかる。いる時点に至る。
かかる:このように。こんな。
かかる:ひびやあかぎれができる。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
『続詞花集』の詞書、
「故一品かくれさせ給ひての頃、五月五日、
人のもとへつかはしける」。
鳥羽天皇の皇女で、
上西門院の姉・禧子内親王が亡くなったことの悲しみ。
禧子内親王は、一品宮と号し、1133年10月10日逝去。