《新古今和歌集・巻第六・冬歌》
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俊成卿家(としなりきやうのいへ)に十首歌よみ侍りけるに、
歳暮(せいぼ)の心を
俊恵(しゆんゑ)法師
嘆きつつ今年も暮れぬ露(つゆ)の命(いのち)生(い)けるばかりを思ひ出(いで)にして
☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆
俊成卿の家で十首の歌を詠みました時に、
「歳暮」の趣を
俊恵法師
嘆き続けて今年も暮れてしまう、
はかない命が生きているというだけを
思い出として。
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✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
(※『和歌コード』とは、
直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。
この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った
しじまにこのオリジナル訳です。)
題詞;藤原俊成の邸宅で「十首の歌」を詠みました時に、
「歳暮」をテーマに歌を詠みました。
作者;俊恵法師
しきりに
長いため息をついて
悲しんで泣きながら
今年も暮れていきました。
(早世したあの方は)
露のように
儚く、短い命を生きられた…
そんなことばかり
何度も思い出して
悲しい気持ちばかりが積もります。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
俊恵法師が生きた時代、
皇室関係で若くして逝去した人物が
下記のとおり多数います。
この歌は、早世した人たちのことを
詠んだもものだと思われます。
俊恵法師:1113年〜1191年頃(享年79?)
父は、源俊頼。
40歳以降で、1100首余りの歌を作った。
白川の自坊を「歌林苑」と名づけ、
そこに藤原清輔、源頼政、殷富門院大輔など
多くの歌人を集めて歌会・歌合を開催した。
①惇子(あつこ・じゅんし)内親王:1172年5月3日没(享年15)
後白河天皇の第五皇女
②休子(きゅうし・やすこ・のぶこ)内親王:1171年3月1日没(享年15)
後白河天皇の第四皇女
③ 僐子(ぜんし・よしこ)内親王:1171年3月1日没(享年13)
二条天皇の第一皇女
④藤原育子(むねこ・いくし):1173年8月15日没(享年28)
二条天皇の中宮。六条天皇の養母。
⑤六条天皇:1176年7月17日没(享年13)。
歴代最年少(満7ヶ月11日)の天皇。
在位2年8か月で祖父、後白河上皇の意向により、
叔父の高倉天皇に譲位。
これは、歴代最年少の太上天皇。
その後、元服を行うことなく、赤痢のため、13歳で崩御。
後白河院→甥(二条天皇)→叔父(高倉天皇)への皇位継承は
不自然なものだった。
⑥姝子(しゅし・よしこ)内親王:1176年6月13日没(享年36)
二条天皇の中宮
⑦平滋子:1176年7月8日没(享年35)
後白河院の女御・皇太后。高倉天皇の生母。
⑧藤原呈子(ていし・しめこ):1176年9月19日(享年46)
近衛天皇の中宮。美福門院の養女。
なげく:長い息をする。ため息をつく。悲しむ。悲しんで泣く。嘆願する。愁訴する。こいねがう。
つつ:何度も~して。しきりに~して。ずっと~して。~ながら。~ことだよ。
ことし:今年。
くる:目が眩む。涙で目が見えなくなる。心が乱れまどう。理性がなくなる。
くる:日が暮れる。終わる。過ぎる。
くる:与える。やる。くれる。
く:来
つゆ:水滴。露。わずかのこと。少しのこと。儚さ。もろさ。涙。袖括りの紐の先。
いのち;生命。寿命。一生。生涯。生命の支え。唯一のよりどころ。
いく:生きる。生存する。生きながらえる。助かる。花を生ける。
いく:行く。移動する。赴く。立ち去る。通り過ぎる。
ばかり:〜くらい。〜ほど。〜ころ。〜だけ。〜ばかり。
おもひいづ:思い出す。思い起こす。
おもふ:思う。考える。思案する。愛しく思う。恋をする。懐かしく思う。回想する。望む。願う。希望する。心配する。悩む。嘆く。苦しく思う。予想する。〜そうな顔をする。
おもひ:思うこと。考え。希望。願望。願い。心配、悲しみなどの気持ち。もの思い。恋い慕う気持ち。思慕。愛情。予想。想像。喪中。喪に服すること。
いづ:出る。現れる。出発する。人に知られる。離れる。逃れる。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
林葉集