《新古今和歌集・巻第五・秋歌下》
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千五百番歌合に
左衛門督通光
入日(いりひ)さす麓(ふもと)の尾花(をばな)うちなびきたが秋風に鶉(うづら)鳴くらん
☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆
☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆
千五百番の歌合に
左衛門督通光
夕日のさす麓の尾花がなびき、その中に伏して、
誰の飽き心のために、
秋風につらくなって、鶉は鳴いているのだろうか。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
(※『和歌コード』とは、
直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。
この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った
しじまにこのオリジナル訳です。)
題詞;1201年から翌年にかけて後鳥羽院が主催した
『千五百番歌合』で詠みました歌
作者;久我通光
沈もうとしている太陽のように
まさに、いま、
仏の世界(天国)に逝こうとしている人がいます。
夕日がさす山の麓にあるその人の家では
父母や祖母たちが
横たわっているその人に寄り添って
泣いています。
その人のかたわらには
人々が列をなして集まり、
耐えがたく、つらい表情をして
泣いておられるようです。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
和歌を訳していて
しばしば分からないのは、
「詞書」と「作者の役職」に
矛盾が生じているときです。
この歌がまさにそうで、
作者の役職が(左衛門督)と明記されていますので、
1205年以降の話題かと思いきや、
詞書では「千五百番歌合」(1201年〜1202年に開催)したときの
歌となっています。
考えられることは、
『新古今和歌集』が編纂された時に
編者が役職をつけて編集したのか?
でも、それなら、
「左衛門督」ではなく、
「権大納言」でも良いはず…となり、
なぜわざわざ「左衛門督」にしているのか
疑問です。
ワタクシとしては
このあたりが
どうも不明なままで、
モヤっとしております。
久我通光(こがみちてる):1187年〜1248年1月18日(享年62)。
新三十六歌仙
1205年2月2日〜左衛門督
1207年2月10日〜権大納言
いりひ:沈もうとしている太陽。夕日。落日。
いる:はいる。沈む。没する。隠れる。仏門や宮中にはいる。ある状況に達する。必要である。心に深く入り込む。いらっしゃる。おいでになる。
さす:直射する。照る。差し込む。草木が芽を出す。萌え出る。枝が伸びる。潮が満ちてくる。雲がわく。ゆび指す。目指す。指定する。指名する。傘などをかざす。設置する。前方に伸ばす。
さす:突きさす。水底をつく。虫がさす。
さす:そそぐ。つぐ。火を灯す。色をつける。
さす:さしはさむ。頭髪にさす。
さす:閉ざす。鍵をかける。
ふもと:麓
ぶも:父と母。
をばな;すすき。穂を出したすすき。
をば;祖母。老婆。
はな:花。薄い藍色。華やかないこと。栄えていること。うつろいやすいこと。上辺だけの美しさ。芸の華やかさ。祝儀。
はな:先端。末端。はし。
はな:鼻。鼻水。風邪。
はなつ:身から離す。手放す。自由にする。逃がす。あける。開く。発する。矢をいる。火をつける。除外する。追放する。流罪にする。
うちなびく:風などによって横に揺れ動く。なびく。横になる。横たわる。従う。服従する。同意する。
うち:内部。生きている間。内心。心のうち。範囲内。以下。宮中。内裏。天皇。妻。夫。国内。
たが:誰の。誰が。
あき:7月から9月
あく:閉じていたものが開く。あく。隙間ができる。空間が生じる。時間的に空きができる。官職に欠員が生じる。物忌みなどが終わる、あける。
あく:十分に満足する。飽きる。いやになる。
かぜ:風。風習。ならわし。伝統。風邪。
うし:つらい。情けない。憂鬱だ。わずらわしい。気が進まない。憎らしい。うらめしい。つれない。薄情だ。
つらし:薄情だ。冷淡だ。思いやりがない。たえがたい。つらい。
うづむ;気分をめいらせる。物思いに沈ませる
つら:連なること。列。同類。仲間。
つら:顔。ほお。表面。おもて。そば。わき。かたわら。
うづら:鶉。鳥の名。草原で見られることが多く和歌では秋の風物詩として詠まれる。
なく:鳴く。亡く。泣く。無く。
らむ:今ごろは〜ているだろう。どうして〜のだろう。〜とかいう。〜ような。
✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎
千五百番