《新古今和歌集・巻第三・夏歌》

 

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崇徳院に百首歌奉りける時

藤原清輔朝臣

おのづから涼しくもあるか夏衣日も夕暮の雨のなごりに

 

 

☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆

☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆

 

崇徳院に百首の歌をさしあげた時

藤原清輔朝臣

おのずから涼しいことだ。

夏着の紐も結ぶようになった

夕暮の雨の名残として。

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コードで読み解いた新訳》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

 

(※『和歌コード』とは、

直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。

この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った

しじまにこのオリジナル訳です。)

 

 

題詞;崇徳院主催の「久安百首」にて

献上した歌

 

作者;藤原清輔

 

 

君仁親王(崇徳院の同母弟)が

1143年10月18日に19歳の若さで亡くなられました。

 

(君仁親王は、生まれつき病弱でいらっしゃったので)

早くに極楽浄土に逝かれたことは

致し方ない自然の流れだったかもしれません。

 

しかし、

鳥羽天皇(父親)も藤原璋子(待賢門院・母親)も

病弱だった君仁親王のことを

非常に可愛がっていらっしゃいました。

 

夏の衣は

ひとえで薄く、涼しいものですが、

誰かが亡くなった夏に着るひとえの衣は

寂しさもあいまって

一層、涼しく感じられます。

 

亡き皇子の遺品となった衣の紐を結びながら

生前の面影をしのび、

涙で目の前を暗くしておられる

鳥羽天皇と藤原璋子さまでいらっしゃいます。

 

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《和歌コード訳の解説》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

「久安百首」が開催されたころ、

崇徳院の周辺で起きた出来事を調べると、

崇徳院の同母弟、君仁親王が亡くなっていました。

母親の藤原璋子(待賢門院)も、

翌年、病気で亡くなっています。

君仁親王が亡くなったのは、10月で冬ですが、

この歌は、夏服を片付けながら

亡き皇子を思い出している様子が描かれています。

 

藤原清輔:1104年〜1177年6月20日(享年74)。

 

崇徳天皇:1119年5月28日〜1164年8月26日(享年46)。

在位:1123年1月28日〜1141年12月7日。

鳥羽天皇の第一皇子。

母は、藤原璋子(しょうし・たまこ)(待賢門院)

 

藤原璋子:1101年〜1145年8月22日(享年45)。

崇徳天皇の母。

 

君仁親王:1125年5月24日〜1143年10月18日(享年19)。

鳥羽天皇の第三皇子。母は、藤原璋子。

崇徳天皇の同母弟。

生まれつき病弱で、自力で起き上がることや、

話すことなどもできなかった。

母の藤原璋子は、君仁親王が亡くなった翌年、

病気で亡くなっている。

 

久安百首:1142〜1144年に崇徳院から題がくだされ、

1150年に詠進歌が出揃った。

 

おのづから:ひとりでに。自然に。偶然に。たまたま。まれに。もしかすると。万が一。

 

すずし:涼しい。澄んで清らかだ。気持ちがさっぱりする。すがすがしい。さわやかだ。潔い。

 

すずしきかた:西方浄土。極楽浄土。

 

なつごろも:夏用の衣服。ひとえで薄い。

なつ:四月から六月

なづ:なでる。慈しむ。かわいがる。

 

ひ:太陽。日光。日中。昼間。一日。〜の期日。天候。天気。天照大神。天皇や皇子。

ひ:火。明かり。ともしび。炭火。おき。火事。のろし

ひ:氷。ひょう。氷雨。

ひ:道理に反すること。不正。欠点。短所。不利な立場にあること。価値のないこと。実在しないこと。

ひ:濃く明るい朱色。

ひ:ヒノキ

ひも:紐。氷の張った表面。

 

ゆふ:夕方。

ゆふ:結ぶ。しばる。ゆわえる。髪を結ぶ。髪を整える。組み立てる。

くる:目の前が暗くなる。目が眩む。涙で目が見えなくなる。心が乱れ惑う。理性がなくなる。

くる:日が暮れる。年や季節が終わる。

くる:与える。やる。くれる。

くる:たぐる。順に送る。順にめくる。

くれ:来れ。

 

あめの:天の。空の。天上界の。高天原の。

あめ:天。空。天上界。

あめ:雨。涙のようにしたたり落ちるものの例え。

なごり:余情。余韻。面影。別れたあとの心残り。影響。余病。形見。遺品。遺児。子孫。別れ。惜別の情。残り。跡。

 

✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎《「日本古典文学全集」の脚注》✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎

 

久安百首

清輔集