雪の木に降りかかれるをよめる

素性法師

春たてば花とや見らむ白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く

(古今和歌集  巻第一  春歌上)

 

=====【日本古典文学全集(小学館)の訳】=====

木の枝に雪が降りかかったところを詠んだ歌

素性法師

春になったので、鶯は雪を花だと思っているのだろうか。

白雪が降りかかっている梅の枝で、

あのとおり、楽しそうにさえずっているよ。

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☆☆☆☆☆☆【和歌コードで読み解いた新訳】☆☆☆☆☆☆

 

(※『和歌コード』とは、

直訳では出てこない言葉の裏に隠された解釈のこと。

この和歌に込められた作者の意図をより深く読み取った

しじまにこのオリジナル訳です。)

 

題詞;父、僧正遍昭が亡くなった日(890年1月19日)。

木の枝に雪が降りかかった

(雪のように大粒の涙が忌中の父の亡骸に降りかかっている光景)

を見て歌を贈る。

 

作者;素性法師

 

 

もうすぐ立春です。

春に天国に旅立った父、遍昭は、

白く輝く美しい花のようにも見えますよ。

 

春になると、

木に残っている白い雪が

花が咲いたように美しく見えます。

 

この世を離れていった父は、

白い衣に身を包まれています。

 

その父の手足に寄りかかるようにして

鶯(弔問の人々)が泣いていますよ。

 

 

 

☆☆☆☆☆【和歌コード訳の解説】☆☆☆☆☆

 

作者の素性法師(?~910)は、僧正遍昭の子どもです。

僧正遍昭は、76歳で、890年1月19日に亡くなっています。

春に遥か天国に旅立った人のことを言っているので、

父親を亡くした時の歌と思われます。

「白雪がかかる」は、

「白髪が顔にかかっている」という意味にもとれますが

遍昭は出家しているので、髪は剃られていたでしょう。

「枝」には「手足」の意味があり、亡骸に取りすがって

雪のような大粒の涙を流している光景が詠まれています。

 

ゆき;逝く。大粒の涙

き;忌中。命日。

ふる;涙が流れる

かかる;涙が落ちかかる

はる;遥か

たつ;旅立つ。断ち切る

はな;離れる。放つ

しらゆき;しらが。死人が着る白い着物

えだ;手足

なく;泣く