昨日は朔旦冬至でした。
それに合わせ、前日には産土神社、そして昨日は鎮守神社に今年一年のお礼をするため参拝してきました。とかく初詣にスポットが当たりがちですが、本当は今年のご加護に対し、きちんとお礼を申し上げることが大切と言われています。

今週は気ぜわしい週になりそうですね。
私は毎年、この時期が一番嫌でした。なぜなら12月のはじめのころからクリスマスムードを盛り上げるだけ盛り上げて、過ぎた途端、がらりと正月モードになるわけです。テレビも店も町も。
その変わり身の極端さについていけないというか、なんか気持ち悪さを感じていたのです。
クリスマスが嫌いとか、正月が嫌いとかではなく、この切替の無理やり感に対する違和感ですね。

でもその違和感の理由もここ数年でようやくわかってきました。
わかってきたら、あれだけ以前はノリノリだったクリスマスへも過剰な反応はしなくなってきました。クリスマスは好きです。あの神秘的な世界観は今も昔も変わらず好きですが、私が違和感を感じていたのは、あまりにも自分が自分の本来の意思というよりも、商業的に踊らされていた部分があったからです。商業的・・とはプレゼントやケーキを買う買わないなどという、表層的なことではありません。一部のさあ、騒げ、金を使え的戦略といいますか、そういった「誰かに作られた世界」に支配されていたことに対する気付きです。

それに気づいてからはこの時期に感じていたなんともいえない気持ち悪さがなくなりました。
そこにあるものに対し、どう自分が関わるのかの主導権が私自身に戻ったからです。
もちろん、もうすでに新年の波も重なってきていますから、違和感を感じるのはイベントの切り替えだけではないとは思います。
でもなにかが新しくなっていく感覚は人のエゴによって左右されるものではないので流れに任せ、変を楽しむことが可能です。

ここ最近、日本語・・言葉のシンクロニシティが多いです。
来年は言葉がキーワードになるのかな。