正月には、今と同じく、元旦はお店も休みが多い。
門松を立て、注連縄をはった。万歳、鳥追、獅子舞、太神楽などが各家を回り、ご祝儀をもらった。
鳥追いとは女性の門付けのことで、木綿の着物に小倉帯、紅染めの手甲、日和下駄に編み傘をして、三味線を弾きながら回った。七福神周りは享保のころに始まったとされている。
次の、春、桃の節句。
節分、初午、雛まつり、天念仏会、灌仏会など豊作や厄除けを祈る行事が集中する。
天念仏会は、天祭といい、各村で天棚をつくり、行者をよんで祈祷してもらう。
灌仏会は、お釈迦様の誕生会で、各家の軒ごとにうつぎと藤をさし、甘茶をかけ豊作を祝ったらしく、この時に
花見も一緒に行ったという。
端午の節句は現代と同じく、菖蒲や蓬をさし、こいのぼりや武者人形を飾った。
夏の七夕は水浴び、七夕など、水にまつわるまつりが多い。
もとは中国から伝来した女性のまつりであるが、盆行事と結びつき
墓掃除に行ったり、迎え火をたいたりしたという。
夏には山王祭が開かれる。6月15日には、神輿や山車、屋台を繰り出した。文化1804~ころには、
船宿や両国の料理屋の案で、花火も登場した。
八月一日には八朔といい、徳川家康が駿河から全員白帷子で関東に入国した日であるらしい。
この日武家は白帷子で江戸城に登城しなければならない。
吉原でも、白無垢の遊女が登場したらしい。
神田祭は山王祭と交互に隔年交代で祭りを執行していて、9月15日に行わせている。
とにかく豊作を願ったり感謝する祭りがおおく、庶民の数少ない娯楽であったようである