若松かねしげです

4月13日

前日一緒だった、二戸市議と久慈市議とともに、久慈市内の避難所を訪ねました。
そこには、野田村で被災され、親せき宅に身を寄せているご一家や、ご主人と消防団だったご長男を亡くされたご婦人がいました。

野田町沿岸には10mの堤防がありましたが、襲ってきた津波の高さは16.8m。
堤防から数百メートル離れた市街地にまで津波は押し寄せ、街は全壊状態でした。

本当に、恐ろしいほど久慈市と野田村では景色が違います。

そんな中、今は仮設住宅の建設も進んでおり、避難所のご一家も移動されるそうです。
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二戸市議と私は、避難所を後にして普代村、田野畑村(27.7mの津波を観測)の被災地へ。支持者のお宅を見舞い、公明党が行っている復興支援の取組、震災現場での支援活動をしっかりとお伝えしました。

それからさらに南下して、宮古市田老地区に到着したのは午後3時ごろでした。
37.9m(ほぼ最高値)の津波を記録した田老地区は、田老のりで有名です。
また同行してくれた二戸市議の生まれ故郷でもあります。

震災後2度目の訪問となった二戸市議からは、必死になって津波と闘った様子を聞きました。

震災前と震災後では町の様相が一変。
幼少時代の町は海岸になっていたこと。
震災当日、港から1キロ離れた実家では、70歳のご長兄が浸水した海水の中を泳ぎ2階へ避難できたこと(ご実家は基礎部分から切り離され、そのまま流されて移動)
翌日になって、二戸市議は奇跡的にご長兄と再会でき、現在、同居しているそうです。

つづき