3月27日

早朝、仙台港の工業団地を視察したが
津波による工場瓦礫と車が混ざったまま、悲惨な光景でした。

これらの瓦礫処分のために自衛隊が作業していました。
若松かねしげブログ-宮城で自衛隊の作業

また、1972年の新仙台港開設時に、最初に開業した「JFE条鋼」は1200人の社員がいましたが、10数名が死亡、現在も10名の方が行方不明とのこと。
全社の5割を超える月間8万トンの粗鋼生産能力は壊滅していました。
所長の許可を得て、構内に入らせて頂きましたが、構内にも多くの車が飛散していました。

2週間たった今でも工場内の車を除去するフォークリフトでの作業が続いていました。
地震後、最初の1週間は工場までの道路が不通だったこと。
4日前からやっと対策本部が開設できたこと。
構内整理が開始したばかりであったことなどをお聞きしました。

この工場が再開されなければ、仙台港最大の雇用機会を失います。
断じて、再生させるための協力をして参ります!と約束しました。

午後
仙台市北となりの塩釜市、多賀城市、七ヶ浜町を視察しました。

塩釜市では、桂島、野の島、寒風島等、850名の方がいまでも孤立し、悲惨な生活を余儀なくされています!

多賀城市では、仙台市泉区・宮城野区50万人、上記3市町15万人の下水道処理場が機能停止となっており
市内のマンフォールから汚水が氾濫している状況でした。

市内にあった500社近い工業団地は壊滅状態となり、近隣雇用の受け皿が消滅の危機に遭遇しています!

いまだに断水状態である七ヶ浜町の80戸の海苔生産者が壊滅状態にいること等、課題だらけの状態です。