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1.アグラはイスラム皇帝が建設
 アグラは、人口120万人規模で、インド国内で一番人気のある町のようです。13世紀からイスラムによるインド支配が始まりましたが、ガイドの説明によると、1526年に成立したムガル帝国は、アフガニスタン北部の中央アジアから来た裕福な一族によって建国されました。
 アグラを首都と決め、写真のアグラ城を建設しました。(写真)ムガル帝国は、ヒンズー教徒から搾取を行わず、アグラ城建設をはじめとして、インド国内に様々な公共事業をもたらし、イスラム教との融和政策を維持したため、ヒンズー教徒の大規模な抵抗はなく、世界遺産である「タージマハール」を建設した5代皇帝シャー・ジャハーン時代に最盛期を向えました。

2.イスラム支配とイギリスの漁夫の利
 しかし、7代皇帝の時代には、ヒンズー教徒の差別化を行い、イスラム教徒との対立が激しくなり、国力が弱体化してきました。
 同時に、1600年に東インド会社を設立したイギリスは、ボンベイ、カルカッタなどの都市を支配し、その後、インド内のフランスなどの列強国を撃破し、さらには8代皇帝を幽閉(暗殺?)、1858年にムガル帝国は滅亡し、いとも簡単にイギリスの直接統治が開始されました。

3.権力好きのインド人とヒンズー教
 ヒンズー教は、日本の八百万の神という言葉に似た、3億を超えるヒンズーの神々を崇拝しています。また、インド人の精神性・哲学性が育んだ宇宙の概念、輪廻とカルマ(業)思想、解脱への道を体系化したヒンズー教は、大変複雑で、インドで起こる現象全てに関係しています。
 イスラムまたはイギリスなどの侵略者を、大きな抵抗もなく受け入れ、権力者には従順な姿で接することができる背景は、ヒンズー教の考え方に、厳しい現実をカルマ思想で受け入れ、それでも輪廻思想で、いずれは解脱が得られるという希望を失わない精神性・哲学性の強さから来るのではないかと理解しました。
 また、ヒンズー教はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神を一体的にとらえながら、これらの神が様々な姿・役割を変えてヒンズー教徒の現実の生活と一緒に暮らしており、アイドル的側面でとらえるため、インド庶民の人気者のようです。このような背景から前回報告した「ディワーリ」という祭りを、インド人が大いに喜び、この原稿を書いているムンバイでは、学校が3週間近く休みになるほどです。
 今回、デリーからアグラへ車移動する際、何度か、州を越えました。その時、運転手が通過する州政府へ車税を払う光景がありましたが、普通の支払手続を行うと、役人からさまざまな理由を付けられ待ち時間が伸ばされるため、賄賂を払い、時間縮小を試みていました。賄賂は、アグラ城視察の際の入場券購入の際にも見られ、インドの生活のいたるところで行われているようです。賄賂をもらうヒンズーの神々もいるとのことで、賄賂を卑屈に考える思想は薄いと感じました。
 
4.インド人とIT国家
 2010年までに、インドのソフトウエア輸出は500百億ドルを超える計画で、その価値は現在のインド総輸出額を上回るようです。
 インドの一人当たりの国民所得は620ドル(2005年世銀資料)、識字率は現在でも42%と、一般大衆は貧しい生活を余儀なくされており、神々を慕うヒンズー教徒インド人の姿が見えてきます。一方、IT産業はうなぎのぼりに成長しています。ITとインド人の精神性・哲学性がどのような関係にあるのか、それをムンバイ、バンガロールで発見、探求してまいります。
 アグラでの世界遺産は、数世紀前の建造物で、かつ、イスラム社会の過去の遺産あり、2千年以上前の欧州の建造物とは歴史的厚さが違います。インドの面白さは、これらの観光資源より、インダス文明からさかのぼり、現在のインド人の精神性・哲学性の研究ではないかと期待を膨らましています。
(10月18日早朝、ムンバイにて)