5年前の今日、私は公認会計士である大学の先輩の都内のご自宅でテレビをつけた。20年前、仕事で訪ねたワールドトレードセンターの一つが炎上していた。一瞬、新しい映画かと錯覚したが、まさかと思い、テレビを凝視したら、ニュースによる実況中継であることがわかった。そして、10分後、ジェット旅客機が隣のビルに突入した映像が入ってきた。
 これは、あってはならない事実であると、慙愧と無念と恐怖感に包まれた。
 そして、昨年5月、ワールドトレードセンター前にあるビルが、私が所属していた会計事務所のオフィスであったため、元同僚を訪ね、当時の9・11の様子を聞くのも申し訳ない思いで尋ねた。そこには、3年半経過しても、9・11ははっきりと存在していた。それから、2度とこのような事件が起きないことを祈り続けながら「ゼログランド」を1時間かけて一回りした。
 その年の9・11、郵政民営化による突然の解散による「衆議院の解散総選挙」の投票日となった。深夜の2時ごろであろうか。東北ブロック定数14のところ、私の順位は当選に必要な64万3千票にあと1万3千足りない15位となり、次点で落選した。
 私は基より、家族、支持者の落胆は大きかった。自分の業を嘆いた。しかし、大勢の励ましにより、自分でしかないできない人生の再挑戦を開始して1年が経過した。そのひとつが「NPO法人行政再生」の設立であり、設立総会が4日前に開催された。不肖、私が理事長に推挙された。
 現在、私は民間企業には「事業再生」のコンサルティングを提供している。そして、私自身は「人生再生」中である。決して忘れてはならないことは、業は願いを兼ねる(願兼於業)という一言をわが使命と捉え、今後の私の人生勝利が、大勢の方々への恩返しになると決意している。「行政再生」と「事業再生」と「人生再生」がわが人生である。その挑戦の日々が私の人生であり、9・11は、人類にとって大変つらい一日であると同時に、私の使命を貫く原点の日でもある。