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 8月8日、日本武道館で挙行された「故 橋本龍太郎」内閣・自由民主党合同葬儀に参列した。写真は献花直前の「橋本元総理」の遺影を思い出に撮らせていただいた。下のほうにあるリボンは、たくさんの勲章である。
 思い返すと、1998年6月に「中央省庁等改革基本法」が成立した。そのときの総理が橋本総理であった。元来、橋本総理は行革に熱心であった。わたしも新党平和(現:公明党)所属の行政改革特別委員会理事として、橋本総理と激論を交わした。そして、20以上の付帯決議を付け、後の特殊法人改革基本法、行政評価法の制定につなげた。 
そして翌年の1999年8月、私はGLOBE(地球環境国際議員連盟)の総裁に就任された橋本元総理と成田空港で再会した。総理(橋本元総理のことを以降、総理と呼ぶ)は、私の顔を見るなり、隣に居られた奥様に向かって、「この人は怖い方なんですよ」と私のことを紹介された。総理を退任され1年が過ぎ、総理当時の厳しい雰囲気が柔和な顔つきになっていた。
そして、ドイツで行われたGLOBE総会に一緒に出席し、私は、その場で取得したばかりの「世界の国会議員事務所初のISO14001」を発表した。
その時、総理はISOに深い理解を示していなかったようだった。翌年、琵琶湖で行われた「世界水フォーラム」の総会で、総理は私の顔を見るなり、「あんたはすごい」と言われた。訳がわからなかったため、総理の秘書に何がすごいか尋ね、判った。それは、橋本事務所がISO14001を取得することを総理は決断したようだ。しかし、秘書の努力にもかかわらず、断念したようだ。そこで、ISO14001を政治家が取ることの難しさとすばらしさを理解された言葉が、「あんたはすごい」という表現になったと理解した。
 それ以来、私は総理と「メル友」になり、何度かメールによる意見交換を行った。現職の総理退任後の一国会議員でも、橋本元総理の行動、発言には学ぶことが多かった。
 本日の献花の後、ドイツで一緒だった総理の奥様に、「ドイツではお世話になりました」とご挨拶したところ、奥様から「若松先生、有難うございました」と親しく応えていただいた。政治家の夫を支え、5人のお子様を育てた奥様が、総理夫人の中でも最もお母さんらしい方という印象を今でも持っている。
 心から、総理のご冥福とご家族の発展、ご多幸をご祈念させていただいた。