こんにちは。

晴れて過ごしやすい伊豆です。

 

まだコロナ渦。

散歩に行きにくい日々が続いています。

公園へ向かう市民を

ほぼ見かけません。

外で遊ぶ親子の姿も

ほぼ見かけません。

 

この2月といえば、

あっちでもこっちでも、なぜか、

工事している所が多い。

片側通行が、あれここでも

と。

市民の声は聞こえない土曜日、、、

工事音だけが響いてきている土曜日、、、

 

土と緑が消えて、コンクリートと家とアスファルトだけになっていく

家から見える景色が変わっていってしまっている。

それと共に、誰かが引っ越ししてきて、

どこの誰かと素性の分からない人だらけとなっていっている田舎と変わっていく。

 

ほんとうに、田舎に開発は必要なのか、、、。

自然の景色、、、少し不便な暮らし、、、

人が人らしく生きるには、、、必要な空間のように思う。

 

この間、テレビで

 

食糧危機

 

が、10年後に来ると聞いた。

 

危機感ある数字の表示だ。

自給自足のできる力をつける教育をしつけを受けている若者、子供は少ない日本人。

 

私の育ったところは、

子供の時から家の仕事を家族とやるのは当たり前の地域だった。

田畑の手伝い、山の仕事の手伝い、酪農がほぼ全戸がやっている地域、

もちろん家畜の手伝いは当たり前、

家の中の掃除、薪割りに、食事作りも当たり前、

それに加えて、私たち姉妹は、新聞配達もやっていた。

働くことが大変と思ったことはない。

大人となって、労働するということが苦に感じたことも無い。

だからといって、学業成績が悪い地域ではなかった。

町の方の人に比べると高い方だった。

地域で子供たちの育成に、

当たり前のように大人たちが、自然と体と心と知識を養ってくれた。

子供会、青年会、部農会、婦人会、老人会

と、いうものがあり、普通にみんなが入り、決して独りになることがない。

孤独死はあり得ないことだった。

みんなが普通に心も知識も生活力も育ちあっていた。
 

 

生活の規模が小さくなれば、

子供たちの労働はほぼ無い。

 

子供の労働を悪く見る風潮を耳にすると、、、

なんでそうなったの?

と、思う。

 

自給自足ができる生活力を勧めていかなければ 

、、、、、、、、、、

食糧を巡って、、、、、、どうなってしまうか、、、、、

 

今に、、、野菜の種も手に入らなくなるのでは、、、などと思った私です。