毎日、考えて

ささっと、メモに書き、キッチンのクリップに留める。

 

冷蔵庫の中身を分かっていないと

思いつかない。

 

おばあちゃんの食事を作るようになってからは、

やはり気を遣う。

血圧が高いので、薬を飲んでいるし。

コルステロール値が高かったときは、工夫した。

あとは、何の薬をのんでいるのか、まだある。

聞いても言わない、、、どういうこと?

 

なので、おじいちゃんが亡くなってから、

主人が病院へ付き添い送って付いている。

ところが、診察室には絶対に入れないと言うのだ。

ん?どういうこと、、、。

仕方なく、おばあちゃんには内緒で、医師に電話をかけて、

病気のことを詳しく知りたいとお願いした。

おばあちゃんが、検査に行っている間に、

取り計らってくれて、医師から聞けた。

なんと、何十年も隠している病名が判明。

このおばあちゃんは、どうも変だと思ってきたことが、、、

主人は、気落ちしていたが、私は合点がいった。

おじいちゃんも、ずーっと隠してきていたし、とにかくかばう。

なんでだと思っていた。

私が嫁に来る前から軽いうつ病になっていて、

ずーっと何十年と服用されて飲んでいるとのことだ。

だから、ときどき、薬が効きすぎて、そう状態でうるさいと思うときが、、、。

とっくに分かっていたら、、、私は、悩むことはなかったと思うのですよ。

 

とにかく出来ないことが多すぎるのだ。

自分の身なりと化粧だけは、すごく気にして、しょっちゅう洗面所に行っては

鏡を見て、化粧や髪形や服装を直している。

アイロンだけは毎日のようにやっている。

そんなものにまでアイロン?

そう、パジャマや下着までにもだ。

 

埃があったって死にやしないと言って、掃除をやらない。

なので、おじいちゃんが早朝に掃除をやっていた。

洗濯もそんなに上手に出来なくて、

ワイシャツの糊付けをおじいちゃんがやっていた。

料理も、品数が少ない。

なのに、胸を張って自慢している、、、。

茶碗や鍋も綺麗に洗えない。

各部屋の片づけが1時間たっても片づけられない。

前より散らかっているし、、、。

家電製品を使いこなせなくて、よく壊す。

孫の世話もやらない。

 

なので、おじいちゃんは、私にこれらのことをやってくれと言ってきた。

えーっ!  私はいつ寝れるの?

来客が多い家で、ほとんど毎日のように来ていて、

おじいちゃんの関係の人たちなんですが、

私にも接客をしろと。

お酒を出すお客さんが来ると、夜中の2時ごろまで居る。

話の相手をするわけではないが、

様子を見て、応接間に入って行かなければならない。

おじいちゃんを放っておく人がいなかった。

区のことや市のことやあらゆることで、相談に来た。

そんなこんなで、怖い思いをしたこともあった。

人の上に立つと、反対派のひとたちが必ずいる。

この田舎でもだ。

家の前には、

黒塗りの見慣れない風貌が怪しい人が乗っている大きめの乗用車が

毎日、停まっていることもあった。

私の娘に、

「おじいちゃんは元気かい?」

などと、声をかけてきたりと、、、。

おじいちゃんは、男らしかったね。

組長さんと話をつけてきたね。

次の日から、その車は見なくなった。

 

おじいちゃんの居ない所で、私が掃除をすると、

鬼の形相で怒ってくる。

庭の雑草を抜いて綺麗にしていると、

勝手なことをするなという。

おばあちゃんのぬか床を混ぜといてくれというので、

朝晩と混ぜていた。

一週間後に、すごい形相でぬかの味が変わったと言って、

漬物樽のぬか床全部を目の前で捨てられた。

あんたは、二度とぬか床を触るなと。

頼まれたから、わざわざやりに来ていたのに、、、なんなんだ?

こんな人なのに、他所の人の前となると、上品に振る舞う。

 

おかしなことは、結構ある。

 

ありゃりゃー、なんといろいろと思い出してくるねえ。

 

そんなおばあちゃんでも、私の娘たちの血の繫がったおばあちゃんだと

自分に言い聞かせて、

けなさず、口答えせず、嫁として、出しゃばらずやってきたよ。

いちいち、気にしている暇がなかった。

 

いつの間にか、私の体は、やせ細っていたのだ。

骨と皮となり、座ると、尾てい骨が当たり痛いなあと

思うことが多かった。なので正座が楽だった。

椅子に座るときもやわらかいクッションを敷いていた。

 

働きに行けていたから、出来たことだと思う。

家の中にばかりいたら、ダメになっていただろうと思う。

仕事は楽しかったよ。本当に楽しかった。

やったことは評価されて、給料も上がってと結果が出たから。

 

長男の嫁は、家の中に居たって、同じテーブルにも座らせて

もらえないからね。

 

笑顔でやってこれたのは、娘たちが居たからだ。