突然、母の病気がわかりました。
大学院に進学して2年目の夏、
突然、母の友だちという方から電話がかかってきました。
「お母さんのことがちょっと気になって…」
友だち3人で出かけた旅行先で、
母が「ここ、どこ?」と、一瞬わからなくなったようです。
最近、待ち合わせの約束を忘れることもあるという話でした。
認知症が始まったんですね。
一緒に病院通いをするうちに、母はこんなことを言いました。
「一人で住んでるのもいやになったわ。〝あんたもうあかんで〟
っていう検査してからやね。生きてんのもしんどいなぁ…」
母は認知症のことがよく理解できていないようでした。
それでも、認知症の検査のことは薄々わかっていて、
不安ややりきれない思いを募らせていたんですね。
母は長年一人で暮らしていました。
寂しかったんだと思います。
もっと一緒に過ごしていたら、
認知症の発症を遅らせることができたんじゃないかと、思わずにはいられません。
「これから何をしてあげられるかのほうが大事だよ」
弟にそう言われ、やっとのことで、気持ちを切り替えました。
大学院を修了した私は、臨床心理士として病院で働き始めました。
長女も、めでたく志望校の中学1年生になりました。
憧れていた「現場の人」になった喜びも束の間、
私は、病を抱える人たちの深刻な悲しみや苦しみに圧倒されます。
家に帰っても、患者さんの話が頭から離れません。
そんな時、〝息抜き〟になって
いたのが、病棟での音楽療法の時間です。
音楽療法士の指導で患者さんたちが
発声練習や歌唱を楽しむのを、サポートしていました。
歌の時間になると、
患者さんの表情が和らぎ、笑顔も見られます。
私も思わず一緒に、昭和歌謡を口ずさむことがありました。
うまく歌えなくても、気分がスッキリするんですね。
カラオケは苦手だけど、
歌っていいものだなと、思えたことが大きかったです。
音楽でリフレッシュしながらも、私は、仕事で悩んでいました。
〈向いていないんじゃ?〉
毎日があまりにも苦しかったし、
お話を聴くことしか、私にはできないから。
ただ、経験を重ねていくと、希望が見えてきました。
病気になるって、悲しくて辛いことがいっぱいです。
だけど、何かしら
「小さな喜び」があったりします。
患者さんと一緒に、それを見つけることもできるんですね。
「喜び」が見つかった瞬間、
患者さんが笑顔を見せてくれることもあります。
「生きることを支える仕事」
なんだと、思えました。
【次回に続きます】