はじめまして、こんにちわ。 ワタクシ、Ara4と申します。

 その名の通り、アラフォーです。

 

 経歴を簡単に紹介しますね。

 陰キャで学生時代を過ごし、なぜか高校時代卒業前に友達にガン無視され、友達といえる友達は2~3人。

 いるだけいいかってことかもしれませんね。

 体育ではいつもビリ、商業系の高校に入学したものの国語社会が得意で理数系がてんでダメで、そこから『人生の選択ミス』というものをこの時間違ってきているような気がします。

 学生時代は、そんなくらいの思いでしかありません。

 当たり前ながら、彼氏もいませんでした。眼鏡かけた陰キャの私は、恋愛してもどうせダメだろとあきらめていました。

 あと一番の難は『性格』だったかもしれません。

 キャーキャー男を見ては騒いでいたりしている友達を横目に『人なんてすぐに裏切るもの、男なんて信じるものではないもの』と、どこか悟りを開いていた、冷めた性格が一番問題だったかもしれません。

 そんな性格だから、振り向く男なんているわけないし、友達だって離れていく。

 よくある話ですが、友達はとてもよくモテました。よくある話、『引き立て役』なのです。

 

 卒業して、まったく知識のなかった医療事務に就きました。

 ここで、『人生第二の選択ミス』を犯します。

 全然知識のなかった私がすんなりとは入れたのは、そこがかなりの『ブラック企業』だったということ。

 私入った次の日、皆辞めていったのです。

 ドラマでもこんなシチュエーションないだろってくらい、どうすればいいのかわかりませんでした。

 でも、そこで救われたのは、同期の存在。

 事務内は、まさしく『家族』のような絆で何度も来る大波を乗り越えていきました。

 情に流されて、子供が叱られるとその倍近く誰彼構わず子供を守る『母』。

 厳しくも優しくもあり、仕事を教えるというより人生を教えてくれた、『父』。

 とにかく美人で黙ってればいいのに、かなり抜けてて酒癖の悪い、明るい『長女』。

 人が良すぎて、人が嫌でもにこにこやってくれる、優しい性格の『次女』。

 そして、そんな家族に守られて、時には長女次女を叱る私、『末っ子』。

 なれ合いはなくても、時に怒られたり、激しくぶつかったり、そうして学生時代には味わえなかった、いや、たぶん普通の仕事についてても味わえなかった『情に厚い絆』を知ることができたかも知れません。

 ブラックな職場ではありましたが、この人たちと一緒だったら乗り越えられる、分かってくれる人がいるっていうことで、私はかなり鍛えられたと思います。

 職場の父と母はいつも言っていました。

「人は必ず別れが来る。別れた後も手を振れるような、そんな関係でいたい」

と。

 家族みたいなぬくぬくした温室で育て割れた私は、いつも誰かから守られて、仕事をしていました。

 ブラック過ぎて環境は劣悪でしたが、仕事自体忙しくても嫌いではなかったので、仕事してても楽しくなっていきました。

 ただ、内容は言えませんが、かなりのブラックすぎて、この仕事場の家族は崩壊されていきました。

 一人別な道を見つけて辞めていき、一人駆け落ち同然でやめていき、院長の目の上のたん瘤だった『父と母』は半ばやめさせられました。

 残ったのは、末っ子の私一人。

 新しい人が入ってきても、人間関係までもれつあっすばて、私はただ淡々と仕事をすることだけをメインにやっていきました。

 院長の目の上のたん瘤だった『父と母』に100%尊敬、崇拝していた私も、標的とされました。

 理不尽なことで叱られ、事務のトップから外され、監視される日々。

 ある日、『辞めよう』と決めていたわけではなく、監視されて目が合った瞬間、『ここにはいられない』という突発的な理由で辞めました。

 みんなが辞めた後『粛々と仕事をしよう』と決めて仕事をしていた私ですが、いつの間にか看護婦さんや事務の人たちから辞める時泣きながら別れを言われ、私は間違ってなかったかったんだ、いつの間にか信頼関係ができてたんだと、辞める時に気づきました。

 それは全部、第二の『父と母』のおかげだと、今でも思っています。

 

 次に就職したのも、『父』の紹介で医療事務に就きました。

 人間関係は良好で、とても毎日が楽しかったんです。

 だけど、前回の職場での積み重なったストレスが、ここで一気に出てしまいます。

 前職からうつ病の薬と睡眠薬をもらっていたのですが、薬が合わなくなり、眠れない。

 食べれない。

 痩せていく。

 とうとう、『診断書』が出されてしまいます。

 診断書通り2週間でどうにかなるものではなく、結局そこも辞めてしまうことになります。

 せっかく紹介してくれた『父』に、申し訳ない…自己嫌悪に陥ってしまいました。

 

 そこから、闘病の日々が始まります。

 正直、どうやって過ごしたか覚えていません。傷病手当の金を頼りに、実家にも迷惑をかけて、何度ともなく『なんで私は生きてるんだろう』と考えていたような気がします。

 闘病といっても、食べる、寝ることしかできません。

 働けない、情けない、人生が一変します。

 

 私には何もない。

 金もない、周りに迷惑をかけている、生きててもしょうがない。

 

 そして、傷病手当も満期になり、傷病手当にも頼れなくなりました。

 そして、『人生第三の選択ミス』に繋がります。

 

 長くなってしまいましたが、ざっとこんな感じです。

 本当は、もっといろいろあります。

 それはおいおい話すとして…。

 いや、話すかどうかはおいといて…。

  

 ここから、現実の話に戻ります。