「次は7月ね!」の7月に起こった出来事 (宝塚の事ではありませんが) | Vita felice パンとオタクの家

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今日は思う事がありまして、宝塚の話でな無いのですが・・・書いてみました。

 

タイトルの“次は7月ね!”というのは、小中学校時代の同窓生メンバーのLINEグループ内でのやり取り。

 

昨日、同窓生(男子←あえて男性では無く…)の訃報が飛び込んできました。

昨年末より自宅で病気療養中だったとの事。

 

実は昨年、12月に忘年会と称して10人程で集まったのですが…その際、発起人女子と彼とのLINEでのこんなやり取りがあったそう。↓

 

男 「もう少し早めに…略…今回は行けません。皆さんに会いたかった」

女 「次は7月ね!」

 

この時点では、都合が付かないと言う事かと皆認識していたので、次回は会えるかな…と。

実際、私も仕事終わりに電車で往復3時間かけて行くのには少し躊躇したのですが、会える時に会っておかないと…と思い参加しました。(何気にめちゃくちゃ楽しかったです…)

そう思って参加しても、どうしても会えなかった人がいた…そしてもう会う事は叶わない…という事は本当に悲しいです。

もしかしたら、12月にはかなり体調が悪かったのではないかと思いもするのですが。

会いたかったという言葉にはどんな気持ちが込められていたのかと思うと、その言葉が胸に突き刺さる思いです。

 

良く、「またね」とか「また今度」と別れ際に声を掛け合ったりしますが、この時殆どの場合“これが最後かもしれない”なんて微塵も思いもせず気軽に口走っていた事に気づきました。

 

それは、コロナで宝塚も休演となり、自粛生活を余儀なくされた時にも感じていて。

今日は会えなかったけど、また次劇場で会った時に…なんて思っていたら、突然会える機会が無くなり、いつ会えるかなんて希望も持てなくなった…後悔しかありませんでした。

 

話は変わりますが、10年以上前、余命宣告された父が亡くなる数日前の事。

同級生2人がお見舞いに来てくれるというので、一緒に食事をしたいからいつものお店の予約してくれと父が母に依頼しまして。

母も私も、家で会食するならまだしも外出なんて無理と思っていましたが、希望通り予約はしておりました。

が…当日は土砂降り、父の様子を見た同級生のおふたりは

「今日は天気も悪いし、また今度にしよう」と断られましたが、父は

「そんな事言わずにいこうや…自分にはもう今度はないんや…」と。

そんな押し問答を少しした後、父は仕方ない…と諦めました。

そこに居合わせた全員、心の中でわかって居ながらも実現し得ないであろう…「また今度」…そう言うしか出来なかった。

 

「また今度」…こんな些細な言葉で何気なく使っている言葉・・・でもその本当の意味を私はまた忘れて安易に簡単に使ってしまってたなと。

「今度」なんてあるか無いかわからない、むしろ無いと思って毎日過ごさないとまた後悔してしまう。

今回の事で改めて思い知りました。

 

奇しくも、「次は7月ね!」の7月に訃報を知る事になるとは…本当に残念です。

 

彼の奥様がグループLINEにご挨拶とメッセージを下さっていて…暫くはメンバーのままで居てくれそうです。

 

コロナ発生以来、様々な事への向き合い方も感じかたも変わり、色々考える時間もあった分、今までの生活に後悔の念を抱かずにはいられなくて…。

そうは言っても、時間を遡る事など出来ないので、今後が大切という事ですよね。

 

大劇場も新しい取り組みをしながら再開されますし、1回の観劇を記憶に残せるように大切に観ていかねば…と思っております。

 

機会が到来する事はその時にやっておこうと思います。(片付けなんて毎日明日に先延ばしなので…まずはそこから?)

 

梅雨時期に湿っぽい内容で申し訳ありませんm(__)m