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ここ1か月は、あまりにも色々なことがありすぎて、
今回はカウンセリングのことではなく、自分のことです。
この一ヶ月で一番身に染みて感じたのは、
2月末、母が胃腸炎から低アルブミン血症になってしまい、むくみやら胸水
母は特養におり、
でも、受診した翌日、特養の若い職員から電話がありました。
「今後のことですが、
「入院しないで様子を見るという話ではなかったでしょうか?」
それに対して、
「アルブミン値が3を切った場合、
と言われ、驚愕しました
しかも、まるで今日明日が山といった口調です。
何の前置きもなく、あまりにも事務的・機械的な言葉で命の終わりについて電話で一方的に話す
アルブミン値が3を切っている高齢者は少なくありませんし、
しかも、受診して1、2回利尿剤を飲ませただけなのに、
「入院させたいですか?」
「施設のお医者さんの判断ですか?」
と聞くと、
「医者というわけでは・・・」
としどろもどろ。
その後もよくわからないやり取りが続き、
久々の脱力感でした。
結局のところ、
また、アルブミンが3を切ったら・・・という言葉も、いつまでも頭の中をぐるぐる回り続けていました。
もう少し思いやりのある言葉を選べなかったのだろうか、という思いも心の中をぐるぐるしていました。
そしてこの件で、自分が看護学生だった頃を思い出しました。
看護学生の頃は、色々な施設を見学しに行きました。
老人ホームもいくつか見学しましたが、どこも「自分だったら入居したくない」と思うところばかりでした。
実習生がいるのも構わず、若い男性介護職員が入居者の女性に向かって、
「まだ食べ終わってないのかよ。バーカ!もう食べないんだろ!
と言って食器を片付けようとしていたのです。
私は思わず
「ゆっくりだけど食べてます!今も口を開こうとしていたところです!」
と言いましたが、
「もう食事の時間は終わり〜」
と言って片付けられてしまいました。
その女性の悲しそうな顔、細くなった腕は今も忘れられません。
その老人ホームには、面会に来る家族がほとんどいないと聞きましたので、家族の目がないことで、
ですので、もし自分の親が施設に入ることになった場合は、頻繁に
6年前に他界した私の父は、一時期、老人保健施設に入居してい
そこでは看護師とケアマネージャーから、多々暴言を吐かれ
認知症のあった父は、
どう見ても汚れていない服が全部
「汚れ物」
としてビニール袋に入れら
汚物置き場
にゴミのように出されていました
そして
「着替えの服がないから3着くらい替えの下着と服を持
と、看護師から週に3回は電話があり、仕事の後に片道1時間かけて服
苦情を言おうかとも思いましたが、ある意味父を「人質」
早くそこから父を救出しなければとの思いから、見学をして印象の良かった老人ホームへの入居を考えましたが、老人保健施設にいる
「
と言われたのです。
でも、それも全部嘘だったことが後でわかりました。
意地悪な看護師とケアマネはグルだったのです。
要は、老人保健施設の看護師が、
私の姿を見る度に、その看護師は、
「あんたの父親はさ~、
認知症なんだから、
身体縛られて終わるんだよ。
ボケちゃうとさ」
と言いました。
私はその言葉を聞く度に心が凍りつくのを感じました。
ここで怒りを爆発させたら父親が酷い目に遭う、という想いが、自分の心を麻痺させようとしていたのだと思います。
その看護師には、私の父親を自分のイメージ通りの結末にしてやろう、
今思えば、その看護師は、看護師と呼べるような人間ではなく、限りなく犯罪者に近い人でした。
結局父は、老人保健施設の
その精神科病院のケースワーカーの女性が本当に
父を精神科に入院させることを迷っていた私に、ケースワーカーの女性は、
「そんな老人保健施設にいたら、あなたの方が参っちゃうわよ。誰も信じられる人間がいないじゃないの!うちの病院にお父さんを連れておいで。大丈夫だから」
と力強く言って下さり、
この人は信じられる!
と直感し、
父はその後、硬膜下血種による全身状態の悪化により、
頭の中の血を抜く手術を2回して、一時期は退院の話も出ていたのですが、急性心不全でした。
100歳まで生きたいという父の願いを叶えてあげることはできませんでした。
ちなみに、硬膜下血腫は、
通常、
後になって考えれば、
父がいた老人保健施設の職員たちには軽蔑の気持ちしかありません。
訴えようかと思ったこともありましたが、
でも、今なお許せない気持ちを消し去ることはできません。
父をそんな施設に入れてしまった自分のこともまた一生許せないだろうと思います。
ゆりかごから墓場まで、どんな人も尊重される権利があります。
子どもはもちろん大切です。
未来があります。
でも、どんな年代の人だろうと、障害があろうと、
ただ、どんな理由があるにせよ、他人の命を軽んじるような人の命の重さは、
人間、いつかは必ず死が訪れます。
だからこそ、生きている間は、
子どもや高齢者、障害者など、
人間によって繁殖させられ捨てられた犬猫などの動物たちの生きる権利もまた、大切にされる世の中になって欲しいです。
優しさであふれている世界
まずは自分から
そして、母に関しては、父のときのような悔いを残さないよう、出来るだけのことをしたいです。
自分が介護できれば一番いいのかもしれませんが、自分が仕事と介護と育児で心身ともに疲弊してしまっては、結局皆が幸せになれません。
人ひとりにできることは残念ながら限られています。
自分で抱え込まず、かといって他人に任せきりにしないこと、それが今の自分にできることだと思っています。
介護の悩みを相談されることも年々多くなりました。
介護者の皆さんも、どうかご自身のことも大切にしてください