ここ1か月は、あまりにも色々なことがありすぎて、ブログはすっかりご無沙汰になってしまいました。


今回はカウンセリングのことではなく、自分のことです。


この一ヶ月で一番身に染みて感じたのは、言葉の怖です。


2月末、母が胃腸炎から低アルブミン血症になってしまい、むくみやら胸水やらで、一時期はハラハラしました。


母は特養におり、病院受診は特養の職員がして下さるのですが、受診したところ、特に入院の必要はなく、利尿剤で様子を見て2週間後に再診ということになったそうなのです。


でも、受診した翌日、特養の若い職員から電話がありました。

「今後のことですが、お母さんを入院させたい意向はおありですか?」と。


入院しないで様子を見るという話ではなかったでしょうかびっくりと私。


それに対して、

アルブミン値が3を切った場合、当施設では看取りの話をすることになっておりまして入院させたいかどうかを確認しようということになりまして。もちろん、当施設で看取ることも可能です」

と言われ、驚愕しましたガーンガーン

しかも、まるで今日明日が山といった口調です。


何の前置きもなく、あまりにも事務的・機械的な言葉で命の終わりについて電話で一方的に話す・・・そのことにただただ衝撃を受けましたガーン



アルブミン値が3を切っている高齢者は少なくありませんし、今は低栄養というだけで入院させてくれる病院はそうそうありません。


しかも、受診して1、2回利尿剤を飲ませただけなのに、むくみが引かないからといって、

「入院させたいですか?」

というのは、誰の何を根拠にした判断なのだろうと思い、尋ねると、医療チームで話し合った結果だと言うのです。


「施設のお医者さんの判断ですか?」

と聞くと、

「医者というわけでは・・・」

としどろもどろ。


その後もよくわからないやり取りが続き、すっかりへとへとになりました。


久々の脱力感でした。


結局のところ、そういう施設に母の命を任せているのだという母への申し訳なさ自分に対する怒りの気持ちが強くなり、想像以上に消耗したのだと思います。


また、アルブミンが3を切ったら・・・という言葉も、いつまでも頭の中をぐるぐる回り続けていました。

もう少し思いやりのある言葉を選べなかったのだろうか、という思いも心の中をぐるぐるしていました。


そしてこの件で、自分が看護学生だった頃を思い出しました。

 

看護学生の頃は、色々な施設を見学しに行きました。

老人ホームもいくつか見学しましたが、どこも「自分だったら入居したくない」と思うところばかりでした。


実習生がいるのも構わず、若い男性介護職員が入居者の女性に向かって、

「まだ食べ終わってないのかよ。バーカ!もう食べないんだろ!片付けるぞ!」

と言って食器を片付けようとしていたのです。


私は思わず

「ゆっくりだけど食べてます!今も口を開こうとしていたところです!」

と言いましたが、

「もう食事の時間は終わり〜」

と言って片付けられてしまいました。


その女性の悲しそうな顔、細くなった腕は今も忘れられません。


その老人ホームには、面会に来る家族がほとんどいないと聞きましたので、家族の目がないことで、日常的に職員が入居者に暴言を吐いているのだろうと思いました。


ですので、もし自分の親が施設に入ることになった場合は、頻繁に面会しに行き、酷い扱いを受けないようにしなければと、その時強く思いました。


 

6年前に他界した私の父は、一時期、老人保健施設に入居していたことがありました。


そこでは看護師とケアマネージャーから、多々暴言を吐かれ、嘘をつかれ、私は精神的にくたくたになり、誰も信じられなくなりました。


認知症のあった父は、職員にとっては面倒な存在だったのだと思いますし、早く追い出したかったようです。


どう見ても汚れていない服が全部

「汚れ物」

としてビニール袋に入れられ、

汚物置き場

にゴミのように出されていました悲しい


そして

「着替えの服がないから3着くらい替えの下着と服を持ってきて!」

と、看護師から週に3回は電話があり、仕事の後に片道1時間かけて服を届けに行っていました。


苦情を言おうかとも思いましたが、ある意味父を「人質」に取られているような気持ちでしたので、余計なことを言ったら父が酷い目に遭わされるのではないかという恐怖から、何も言えませんでしたショボーン


早くそこから父を救出しなければとの思いから、見学をして印象の良かった老人ホームへの入居を考えましたが、老人保健施設にいるケアマネの男性から電話があり、いかにも親切な人を装って、

ここだけの話、老人ホーム側では、あなたのお父さんの面倒は見られないと言っているんです。何だかんだ理由をつけて入居を断られると思うので、私がお勧めする精神科の病院に入れた方がいいですよ」

と言われたのです。


でも、それも全部嘘だったことが後でわかりました。


意地悪な看護師とケアマネはグルだったのです。


要は、老人保健施設の看護師が、私の父を精神科病院に入れたがっていたようです。


私の姿を見る度に、その看護師は、

「あんたの父親はさ~、

認知症なんだから、

最期は精神病院に入院して、

身体縛られて終わるんだよ。

悲しい最期だよね~。

ボケちゃうとさ」

と言いました。


私はその言葉を聞く度に心が凍りつくのを感じました。

ここで怒りを爆発させたら父親が酷い目に遭う、という想いが、自分の心を麻痺させようとしていたのだと思います。


その看護師には、私の父親を自分のイメージ通りの結末にしてやろう、という思いがあったのだと思います。


今思えば、その看護師は、看護師と呼べるような人間ではなく、限りなく犯罪者に近い人でした。


結局父は、老人保健施設のケアマネに勧められたところとは異なる精神科の認知症病棟に入院することになりました。


その精神科病院のケースワーカーの女性が本当に親身になって下さって、父も老人保健施設にいた頃より表情が明るくなり、私も救われる思いでしたニコニコ


父を精神科に入院させることを迷っていた私に、ケースワーカーの女性は、

「そんな老人保健施設にいたら、あなたの方が参っちゃうわよ。誰も信じられる人間がいないじゃないの!うちの病院にお父さんを連れておいで。大丈夫だから」

と力強く言って下さり、

この人は信じられる!

と直感し、入院を決めたのです。


父はその後、硬膜下血種による全身状態の悪化により、総合病院に転院し、その病院で亡くなりました。

頭の中の血を抜く手術を2回して、一時期は退院の話も出ていたのですが、急性心不全でした。


100歳まで生きたいという父の願いを叶えてあげることはできませんでした。


ちなみに、硬膜下血腫は、老人保健施設にいた際の転倒時にできたものでした。

通常、父のように認知症があるにも関わらず活発に動いてしまうタイプの老人は、床に布団を敷いて寝かせてくれることが多いそうなのですが、父は敢えてベッドに寝かされ、何度もベッド柵から降りようとしては転倒していたそうです。

後になって考えれば、これもまた看護師による父への虐待だったのだと思います。


父がいた老人保健施設の職員たちには軽蔑の気持ちしかありません。


訴えようかと思ったこともありましたが、2人の子どもの育児をしながら、そんなところにエネルギーを使うのは、子どもたちにとってマイナスの影響の方が大きいのでは、と考えて思い留まりました。


でも、今なお許せない気持ちを消し去ることはできません。

父をそんな施設に入れてしまった自分のこともまた一生許せないだろうと思います。


 ゆりかごから墓場まで、どんな人も尊重される権利があります。

子どもはもちろん大切です。

未来があります。

でも、どんな年代の人だろうと、障害があろうと、お金もちだろうと貧乏だろうと、命の重さは皆同じだと思います。


ただ、どんな理由があるにせよ、他人の命を軽んじるような人の命の重さは、それなりだとも思います。


人間、いつかは必ず死が訪れます。

だからこそ、生きている間は、尊厳をもって生きられる世の中であってほしいです。


子どもや高齢者、障害者など、社会的に弱い立場にある人たちが、人権を侵害されることのない世の中になって欲しいです。

人間によって繁殖させられ捨てられた犬猫などの動物たちの生きる権利もまた、大切にされる世の中になって欲しいです。


優しさであふれている世界昇天


そんな世界は夢でしかないとしても、自分が思いやりのある人間であろうと努力することならできるはずです。

まずは自分からアップ


そして、母に関しては、父のときのような悔いを残さないよう、出来るだけのことをしたいです。

自分が介護できれば一番いいのかもしれませんが、自分が仕事と介護と育児で心身ともに疲弊してしまっては、結局皆が幸せになれません。


人ひとりにできることは残念ながら限られています。


自分で抱え込まず、かといって他人に任せきりにしないこと、それが今の自分にできることだと思っています。


介護の悩みを相談されることも年々多くなりました。

介護者の皆さんも、どうかご自身のことも大切にしてくださいにっこり