たぶん…ここ半年くらいはまともに
blogUPしていなかったかなと思います。


以前からブログの中に、
母の入院を書いていたかとは思います。


母の病名は急性骨髄性白血病でした。
2011年2月に発症しました。

まさか、自分のまわりで、
まさか、自分の親が白血病になるなんて…。


そう思いました。


母は再発を繰り返し、
その度に抗がん剤の治療を受け、
きっと辛かったと思いますが、
それでも辛い素振りは一切見せずでした。
抗がん剤の副作用は気持ち悪くなるとか
嘔吐するとか想像をしていましたが、
何故か母はバクバクご飯が食べれている(笑)
なんなんでしょうね(笑)

母の命がもうそこまで長くないでしょう…と
話が出てきたのは数年前だったかと。
再発するスパンが短くなってきたのが
その合図でした。

去年の秋、再発した母は治療のため、
入院となりましたが、
抗がん剤に耐えられる体力は
もう母には残っておらず、感染症にかかり、
1度は危機となりましたが、
母は頑張り退院出来ました。

退院してきましたが、
以前のように近所に買い物へ行くなどは
一切出来ず、自宅では寝ている。
そんな日々となりました。

年明けインフルにかかり入院。
白血球がない中の感染症でしたので、
こちらもかなり危機でしたが、
ここも母は頑張って退院しましたが、
息苦しい日が続き、退院して10日後入院。
肺炎となっていました。
この時の入院は母はとても嫌がり、
どうしても帰宅するといいはる。
もしかしたらこの時母はもう自宅には帰れないかもしれないと感じていたのかもしれないですね。

母の様子も少し持ち返した頃、
今後は頻繁に輸血をする事になる。
母の体力を考えると週2.3日の通院は厳しいと
長期入院出来る病院への転院が決まった矢先、
母が急変してしまいました。
3月上旬の出来事です。
『もうダメかもしれないので…』と
言われましたが、母は頑張って…。
もうベッド寝たきり、水分はとりますが、
食事はできない。そんな状態になりました。

母の状態をみて転院。

3月半ばです。

この時『数値的にはもうかなり限界を越していますのであとは体力だけで生きています。』と。

水分を自分で取れるようになったりして、
現状維持でしたが、
亡くなる一週間前、
酸素がつけられていて
私も呼び出しの電話がありました。

まだ意識もあり水分も飲む、
話も出来る母。

この日が私が母と話をしたのが最後。

亡くなる2日前から呼吸も苦しいそうだと、
それでも一応意識はあり問いかけには
何とか応じると。

亡くなった日。

私が母の病室へ行く予定でしたので、
向かっている途中に病院から連絡があり、
母の心臓が弱くなっていると。

私や父、母の姉たちは
母の最期には間に合う事が出来ませんでした。

『お母ちゃん、頑張ったね…』

酸素マスクなどまだ医療機器が
ついたままの母にそう声をかけました。

亡くなった日から
私の職場関係のスタッフやら
母の友人たちが母に会いに来てくれ、
母はさみしくなかったかなと思います。

私の同僚たちも母の友人たちも
みんな言ってたのが、

母はいつも明るくて元気。
そしてよく食べる(笑)

私の友人がこんな事を言っていました。

『きっとおばちゃんはきちんとお別れが出来るように準備期間をしっかりくれたんじゃないかな。だからここまで頑張ってくれたんだよ。』


『そうかもな~』って。



辛い治療もけして弱音をはかずに
病気とたたかった母。

『お母さんは本当に強いですよ!』

母の体力は病院の先生たちもびっくりでした。


限界を既に越していても
頑張って生きていましたから。



母は強し




しっかり見せてくれましたね。




母の棺を横に
仕事の愚痴大会となった私たち。
きっと母は
『全くあんた達は(笑)』って
笑ってたはず(笑)


母の顔を見て涙していた同僚たちも
気づけば笑って話してました(笑)


それでいい。

それが母らしい時間です。




これからはblogのUPも
少しずつ再開していきますね。