徳島で天守閣のあるお城をリサーチしてみました。

 

蜂須賀家政

 

永禄元年(1558年)、蜂須賀正勝の嫡男として、尾張国丹羽郡宮後村(現在の愛知県江南市)の宮後城に生まれる

 

織田信長、次いで羽柴秀吉に仕え、秀吉が織田信長の命令で行った中国毛利攻めには黄母衣衆として父と共に従軍

 

天正10年(1582年)、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、秀吉に従って山崎の戦いに参加

 

天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに参加し、天正12年(1584年)に播磨佐用郡内に3,000石を与えられた

 

天正13年(1585年)の紀州征伐など、秀吉の天下統一における戦争に従軍し、戦功を挙げた

 

雑賀攻めの後に行なわれた四国攻めでは、阿波木津城攻め、一宮城攻めなどで武功を挙げた

 

四国攻め後、その戦功により秀吉は正勝に対して阿波一国を与えようとしたが、正勝は秀吉の側近として仕える道を選んで辞退し、秀吉はやむなく家政に阿波を与えたという

 

こうして家政は天正14年(1586年)に阿波18万石の大名となり、同年1月2日、従五位下阿波守に叙任

 

一宮城の城主となり、その後徳島城を築城

 

一説に阿波踊りは、城が竣工した折、家政が城下に「城の完成祝いとして、好きに踊れ」という触れを出したことが発祥ともいう

 

阿波九城(あわくじょう)

 

阿波徳島藩(現在の徳島県)の藩祖である蜂須賀家政が設けた9つの支城の総称

 

天正13年(1585年)、蜂須賀家政が阿波国に入国した際に阿波国内にあった既存の9つの中世城郭を改修し「阿波九城」と称する支城として整備した

 

各城代には蜂須賀家より兵があてがわれ、郡奉行も兼ねていた

 

慶長20年(1615年)の一国一城令により、寛政15年(1638年)、阿波九城は廃城となったが、徹底的な破却は行なわれなかった

 

これは一揆などの有事の際に再利用する目的であったとする説がある

 

阿波九城の一覧

 

入国当時の城番

一宮城

益田一正
撫養城 益田正忠
西条城 森監物
川島城 林能勝
大西城 牛田一長
海部城 中村重友
牛岐城 賀島政慶
脇城 稲田植元
仁宇城 山田宗重

 

撫養城

 

 

撫養(むや)城は、徳島県鳴門市撫養町にあった城郭

 

岡崎城もしくは林崎城とも呼ばれる

 

古くは小笠原氏の居城と伝わるが、築城時期は明らかでない
 
撫養城は、足利将軍家と深いかかわりを持つ
 
足利義稙は第十代将軍に擁立されたものの既に政権基盤は脆弱化しており、管領・細川政元と対立したために将軍職を廃される
 
義稙は再起を期したもののかなわず、大永三年(1523)に撫養の地で亡くなった
 
永禄十一年(1568)、阿波出身の足利義栄は三好三人衆に擁立され第十四代将軍になった
 
しかし三好三人衆と松永久秀が対立したため京に入れず、さらに織田信長に擁された足利義昭が第十五代将軍となると、その直後に義栄は病死
 
諸説あるが、撫養の地で没したといわれている
 
天正十年(1582)、長宗我部元親が阿波に侵入し、撫養城もその支配下に入った
 
しかし、天正十三年(1585)羽柴秀吉の四国征伐によって元親の領土は土佐一国となり、阿波は秀吉家臣の蜂須賀家政に与えられた
 
家政は阿波に入国すると、撫養城を淡路渡海の押えとして異母弟の益田内膳正忠を城番とし、手勢300名を持って守らせた
 

撫養は鳴門海峡に臨む交通の要衝で、足利義稙や義栄も再起を期してこの場に留まっていたのでしょう。

 

撫養城の置かれた妙見山は標高62メートルで、鳴門海峡や淡路島を見渡すことができます。

 

コの字型の尾根の中央に本丸を置き、その南北にも曲輪を配していたと推定されます。

 

お城散歩より http://kahoo0516.blog.fc2.com/blog-entry-491.html

 

みどころ

 

鳴門市にある妙見山全体が公園となっている

特に桜のシーズンには沢山の人が花見に訪れる

 

城の展望台からは鳴門の市街が一望できる

車で頂上まで行けるので夜景も楽しめる

 

アクセス

 

 

撫養城→川島城の順がお勧めです。

 

飛行機:阿波おどり空港→撫養城 約10km 車で約24分で到着します。

JR:JR鳴門線「鳴門駅」下車→徒歩25分

バス:JR徳島駅→徳島バス岡崎行き「妙見下」下車→徒歩10分

車:鳴門北ICから約10分

 

観光データ

駐車場:妙見山公園駐車場(無料:30台)

期間:通年

時間:見学自由

開館:土日祝日 9:00~16:00

閉館:年末年始

問い合わせ:088-684-1120

 

川島城

 

 

1572年に三好氏の家臣であった篠原長房が滅ぼされた後、その功績によりこの地を与えられた川島兵衛之進(川島惟忠)が長房の上桜城に代わって城を築き、後の1585年には蜂須賀家政の家臣である林能勝が城主となる

 

しかし一国一城令により1638年に廃城となる。その跡には徳島藩の奉行所が置かれ、明治になるまで存続した

 

みどころ

 

現在、二の丸跡に1981年に観光用に模擬天守閣(「レストハウス川島城」)が建設された

曲輪跡は比較的よく残っている

吉野川を一望できる展望台がある

 

 

 

川島城の縄張り内に鎮座する川島神社。本丸跡は神社の奥にある。

 

アクセス

 

 

飛行機:阿波おどり空港→徳島駅→JR

JR:JR徳島本線「阿波川島駅」下車→徒歩10分

車:徳島駅→川島城 約22.8km 車で約38分

  徳島自動車道土成ICから約15分

 

観光データ

駐車場:あり

期間:通年

時間:見学自由 9:00~17:00

閉館:月曜(祝日の場合は翌日)

問い合わせ:088-325-4666

 

徳島城跡

 

徳島城跡と徳島城博物館です。

城山には何も残っていないのでお勧めしません。

 

鷲之門が復元されています。

 

博物館には歴史・美術資料や表御殿庭園があります。

 

アクセス

 

飛行機:阿波おどり空港→徳島駅

徳島駅徒歩5分