私は特に厳しい両親に育てられたせいか、物心ついた頃には常に日々、劣等感との闘いでした・笑。

いつだって人と比べていた。
「Bちゃんは〇〇が得意だけれど私にはセンスがない」
「あの子はいつもおしゃれ、私はなんか野暮ったい」…とか。
もう自己否定感の塊でしたよ。

その後、いろいろなことをして、こうしたネガティブな感情を追い出してきています。

長年のネガティブな塊が、仮に自分のハートに溜まるとするのであれば、今の私のハートはだいぶお掃除されてきている。
だから時々ホコリのかたまり、毛玉(❓)みたいなものが入ってきても、大きくならないうちにフ~ッと外に吐き出してしまう…そんな感じです。


私達って、主には生まれてきて外界で植え付けられてきた価値観で生きていますよね。もちろん、様々な学説はありますけれど。
だって、生まれたての頃って、地球に生まれてきた喜び、幸せ、純粋さに満ち溢れた神聖な存在です、我々。

出生後、誰にどう育てられてきたのか、どんな環境で過ごしていたのか…そういう部分で、その人の主な価値観が肉付けされていくわけです。

ところで。

私達って生まれてきた時点で、地球で生きていくおおまかな役割を持ってきているって聞いたことありますよね。

皆それぞれが違う役割。
Aちゃんは周囲を笑わせること。
Bちゃんはドクターになり大勢を助けること。
Cちゃんは親の世話をすること。
Dちゃんは川の歴史を人に伝えること。
Eちゃんは料理作りが得意になること、とか。

細胞に植え付けられているDNAのようなものですね。

でも。
せっかくこのような素晴らしいものを持っていても、
余計なネガティブ感情、つまり優越感、コンプレックス、劣等感、自己否定感、無価値観…が私達のこの細胞なるものに肉付けされてしまうと、どうなるでしょう。

個性が埋もれます。

その人の純粋さが失われてしまうのですね。

肯定されて生きてきた人は、余計な肉付けはないから、本来の自分とも向き合いやすくなるし、本来の役割に向けて行動しやすくなります。

それぞれが本来の役割に忠実に生き出せば、競争も少なくなっていき、人間はもっと互いを尊重し合える存在になるわけです。
〇〇だから偉い、〇〇だから劣っている。
こういう発想は少なくなっていきます。

バランスよく調和していきますよね。
(実際、大昔の日本ではそのように機能していた時代もあるそうです)

本当の喜びって、あなたがその居場所にいて、心から幸せを感じて生きていられるか、ですよね。

だから自分の役割を知るってとっても大切なことだと思っています。

 

長々と読んでくださって、ありがとうございました。