チューリップ、行ってきました。


私の長い推し活人生の

一番最初のアイドルです。

当時私は12歳。


この時、一緒に追っかけしていたのが幼馴染みの

なおこリン。

彼女はずっと趣味でバンドをやっていて

“なおこリンと愉快なバンド達”というラジオも長年続けていたし、カラオケの先生でもあるので根っからの音楽好き!


なおこリンとは半世紀以上の仲です。


彼女と公開ラジオとか雪祭りコンサートとか

子どもでお金もってなかった私達、無料で会えるイベントがあれは必ず行ったり、

コンサートもお小遣い貯めて行ってました。

(当時、STVのプロデューサーがチューリップをかわいがっていて、北海道に来ることが他の地方より多かったと言ってました)



今回も彼女が「50周年だよ!これが最後かも」と誘ってくれました。



彼らはビートルズ好きが集まったロックバンドですが、私にとってはアイドルでした。



当時は財津派とタッチー(姫野)派に分かれていました。

私はタッチーでした。

声も顔もかわいくて、ギターもキーボードもお上手で、もちろんフロントマンは財津さんなんだけど。


お顔がかわいい男の人って、中身は男っぽい人多いですよね。姫野さんもたぶんそうじゃないのかと…


今はもう何でも良いけどみんなお爺ちゃんだも😅



『心の旅』がヒットして一躍人気者になったので

当時ファンは女性が圧倒的に多く、いつもキャーキャーでしたが


その楽曲の良さで男性ファンも沢山です。

多くのアマチュアバンドにカバーされていました。


アルフィーの坂崎さんは良くチューリップ好きを言ってましたよね。


心の旅の後も、ドラマ主題歌、CMソング

『虹とスニーカーの頃』や『サボテンの花』のヒットで認知度が上がったかな〜







今回の会場は“ヒタル”

4階までびっしりで、50%男性でした。

ご夫婦の姿も多かったです。

会場には80代もいて、良い時代になりましたねー。


コンサートは楽しかったです。

全部歌えました。さすがに子どもの時身につけたものは何十年経っても忘れない😅





財津さんの天才気質とワンマンさで、確執も。

脱退、解散、再結成とそれぞれの時代を経て、それでも周年記念の度に集まるチューリップは、ある意味執着や拘りを上手く乗り越えてきたグループ、

羨ましい。


財津さんがめっちゃ丸くなった印象で

自らヨロヨロジジイ🤣と言って笑ってました。

それはそうですけど、歌声は今もステキでした。



ギターの阿部さんが亡くなられましたけど

その阿部さんの曲も歌ってくれました。


正直言えば『千鳥橋渋滞』が聞きたかったなぁ。



ヒット曲は、初期は姫野さんボーカル、後期は財津さんボーカルが殆どですが

チューリップは最初から全員が曲を作りボーカルを取る多彩なグループです。

全員ボーカルできるのでコーラスに厚みがあるのも私の好みです。


大好きな『僕が作った愛の歌』

財津さんは以前のインタビューで、この曲は作詞作曲も自分なので僕が歌いたかったけれど、姫野が歌った方がヒットすると言われた。と話してました。


でも財津さんは

「姫野も孫がいる、この歌を歌う姫野の後ろ姿が愛しい」とMCで言ってました。








財津さんは20代の若い頃から

人生長くやってるお爺さんのような歌詞を書きます。それでいて水々しい、

私は子ども心ながらに、これが情緒というものかと感じたものでした。

歳を重ねた今聞くと、本当に自然に涙が出てきます。


サウンドは和製ビートルズという名がピッタリです。


チューリップの後

私の推し活は原田真二に移行したのですが、

チューリップサウンドをもっと新しくした感じで

とても似ているのでした。


その後、私の推し活遍歴は続き、

現在のKPOPに着地しています。



コンサートの最後は会場全員てデビュー曲の

『魔法の黄色い靴』を大合唱しました。




この曲は、ラジオのチャート番組にランクインさせたくて、当時中1だった私はクラスの友達皆に電話リクエストをしてもらうようお願いしたという思い出があります。

“電リク”というやつです、懐かしい。



50周年なんて本当に凄い‼️


ありがとうチューリップ。