義母が亡くなりました。
近しい肉親を失うのはこの5年のうちに
4人めです。
定め。
順番。
夫の家族は少し複雑。
けっこう複雑。
それは祖父母の代からだったようですが
昔は今よりもいい加減というか、
色々あっても、何とかやり過ごしできたような
時代的背景もあります。
義母は夫にとっても義母。
夫は思春期で新しい母親をむかえ、
進学で家を出たので、義母と暮らしたのはほんの数年のことで、親子の情愛は気薄だったようです。
けれど義父母は大変仲が良く、
他人が驚き、羨ましがるほど愛し合っていました。
常に寄り添い片時も離れず、誰はばかることなく相思相愛のおしどり夫婦でした。
3年前に病気が進行して義父が他界しました。
義母にはその悲しみが耐えられないだろうと誰もが思いました。
来る日も来る日も義父を想い、
「あれもしてあげられなかった、これもしてあげられなかった」と後悔の毎日に、あれではひとつも良いことはないと思われました。
納骨も拒み、最初は気の済むまでと言っていた家族もお寺さんも「もう納骨しましょう」と誰が説得しても聞きませんでした。
お義父さんのお骨と共に3年間暮らしていました。
私の勝手な憶測ですが、
先妻(夫の実母)が眠るお墓に行って欲しくないのだな、と思ってました。
「元気を出して!お母さんがいつまでも泣いていてはお父さんも成仏できない」と家族や友人に励まされてもそれは義母には聞きたくない言葉だったのです。
「お義父さん無しでは生きてゆけない」
本当にその言葉通りでした。
首が痛いと整形外科に通うようになりました。
その痛みがどんどん増して、
痛みで動く事も出来なくなって
病院へ運ばれました。
原因は体の中でしょうということでした
検査の結果は既に手の施しようもない状態で、
多少の治療はありましたが、痛みが激しく
治療らしいことも出来ず
直ぐに緩和ケア病棟に移りました。
私の息子はお爺ちゃん似です。
義母の大大大好きな、そのお義父さんに顔が良く似ています。
若かりし頃の義父は写真を見ると本当に息子に良く似ています。
なので義母は、息子に会うといつも
「イケメンがきた、イケメンがきた」と喜んでいました。
そんな訳で息子がお見舞いに行くと、
私が顔を見せるよりはるかに喜んで嬉しそうでした。
息子よ、顔だけで、お手柄!!
緩和ケアは手厚いので何を心配することもありませんでしたが、
日に日に弱って行く、という感じでした。
ただ、体は動かなくても意識が無くなる直前まで頭はとてもクリアでしたから、ベッドの上でも
自分以外のこと、家族の事を沢山心配していました。
当然ご自身の状態もわかっておられ、長くはないと理解していました。
そして、
義父の名を呼び
「助けて、むかえに来てと」と言ってました。
義母が昏睡状態になったのは
今回の大地震の翌日でした。
地震の影響で、社会全体がストップしている時で、皆仕事もお休みでした。
そんな訳で全員が病院へ駆けつけることができました
本当に何が幸いするかわかりません。
夫は2人兄弟です。
病室、最後の晩は、
弟のお嫁さんと私とで、お義母さんを挟んで
夜通し、沢山たくさんお喋りしました。
亡くなったお義父さんのこと、お義母さんのこと、お互いの夫から聞いていた婚家の秘密。
以前、
私が自分の母親の面倒を見ていることを伝えると、
「良いね羨ましい。私は自分の本当の子どもがいないから孤独死だね」と言ってました。
そんなことはない、私達がいるじゃありませんか
と。そう言うしかない私でしたが、
なんだかそう言わせてしまうことに虚しさがありました。
でも
息を引き取る時
お義母さんの周りには肉親とお友達が11人で見守っていました。
あんなに大勢の人に看取られて、
結局、大人気でしたよ、おかあさん!
痛みで苦しんでいたお顔も、自宅に帰ってきて
安心と安らぎの顔に戻ってました。
微笑んでました。
入院中、
「その時は綺麗にお化粧してね」
と何度も頼まれました。
「わかった、バッチリ綺麗にするからね」と
約束しました。
でも私は上手くできそうにないから
おくりびとさんに伝えて、綺麗にきれいにしてもらいました。
人は誰でも人生の終わりをむかえます。
それは肉体の別れであっても、やはり悲しい。
直接触れることも声を聞くことも出来なくなります。
近くにいたり、大好きだったりすると
その別れは恐ろしい。
でも、この世に結んだ縁はここで終わりではなく
過去世から来世まで、ずっと繋がっていくのだと。
ここで終わりではない。
と私も信じています。
やっとやっと、お義父さんのところへ行くことができて嬉しいよね。
お義母さん。
きっと又、逢えますね。
出逢えたことに感謝します。
ありがとうございました。

