記録も兼ねてます。
昨年の一昨日
2021/11/16
抗がん剤治療の説明のため、主治医に呼ばれる。
午後2時からだったのですが…
早めに行ってもいいとの事で13時に到着。
夫にLINEすると…。
『やっぱり、母さんがあまり速く来たら、看護師さんがF先生に連絡するじゃろ〜💧
そしたら、F先生の休憩時間が無くなるけぇ〜
10分前でいいよ。先生、昼も来てくれたけぇ休憩あまりしてないと思うんよ。』
って、言うんです
私…
『そうじゃねじゃあ、LAWSONでコーヒーでも飲んでから病棟に上がるね』
夫…
『そうしてくれる〜』
夫のいつもの優しさでした
こんな辛い状況でも、周りへの気遣いばかり人です。
いつも、もう少し自分のこともね
って思ってました。
説明は…
先ずは、病状から…。
検査後(超音波内視鏡下穿刺吸引法 (EUS-FNA)の状態は良いため、明日から抗がん剤治療を開始するとの事。
膵臓がんは、一般的な『腺癌』であったこと。
肝臓への転移の腫瘍が多いため、効いても反応が強く出るために副作用が強く出る可能性がある事、など言われた。
若くて体力があるから、フォルフィリノックス療法での抗がん剤治療をすること。
1クール、2週間間隔での投与。
投与後、2週間様子を見て、問題なければ退院して、外来で通院しての治療になる事。
但し…
その中の『オキサリプラチン』に対しての遺伝子検査結果の数値がやや低いために、念のため減薬80%で投与する事。
様子を見てアレルギー反応が出なければ、2クール目からは100%で投与していく。
看護師さんからは…。
副作用の対応の仕方の説明。
『オキサリプラチン』の副作用の冷寒刺激対策。
吐き気を伴う方が多いための食事の摂り方などの説明を聞く。
説明後…。
夫がトイレに行っている間、主治医と看護師さんから、私の食欲や睡眠の心配をして下さる。
主治医より、
『眠れなかったらかかりつけ医のT先生から導入剤出してもらってでも寝た方がいいよ。』と言ってもらう。
(飲まなかったけど…)
2021/11/17
昨年の昨日。
フォルフィリノックス投与開始。
『体中が薬臭い』という。
夕方、着替えを持っていくと…
『何とかLAWSONまで降りるよ』
と言ってくれる。
私の顔見て、少しホッとした顔してた。
長くは話せないから…
握手して…
『気を付けて帰るんで〜』
駐車場まで泣きながら歩いた…。
たまたま、駐車場が見える位置の病室だった…
車に乗るまで、手を振ってくれた。
胸が苦しかった…
そばにいたい…ずっと…
翌日も病院に行って、少しだけ話した。
2日経ち、5FUの抜針の日。
この日から、吐き気の副作用が強くなる…。
『気分悪くて降りれん。すまんな。ご飯が食べれんのんじゃ〜』
主治医と栄養士さんと話したらしい。
食事を食べやすいものだけにしてもらう。
あまりにも食べられないから、吐き気どめの注射をしてもらう。
副作用の倦怠感と吐き気、冷寒刺激がひどくなる。
手袋を持っていく。
この後、入院中はずーっと副作用との闘いだった。とにかく吐き気と倦怠感。冷寒刺激は、手袋さえしていればなんとかなった。
着替えを持って行っても、会えないことが多かったな。
その度に
『すまんな、今日も降りれん。立ってることもできん。』と言ってた。
病院の決まりとして、入退院の時と医師からの病状説明、承諾書が必要な検査等の呼び出しがあった場合のみ病室に入ることができる。
どの患者さんも同じ…。
夫の場合も
超音波内視鏡下穿刺吸引法 (EUS-FNA)検査の時は、内視鏡センターの待合室ではなく、病室で待っていた。
看護師さん
『お疲れでしょうから、ご主人のベッドで横になられててもいいですよ』と言ってもらう。
椅子に座り、ベッドにもたれて気がつけば1時間眠っていた。
今思うと…。
コロナ禍でありながら、いろいろと配慮してくれる病院だったな。と思う…
夫より後で入院して来られた方にも同じ対応をされていた。
孤独な入院生活…
夫からのLINE…
副作用の辛さ…。
自分が亡くなった後のこと。
終活のこと。
私の仕事のこと。
私への💖メッセージ。
主治医と外科の医師と看護師さんへの感謝。
そんな言葉がたくさん送られてきた。
この頃から、私のメンタルがおかしくなる。
夫に悟られないようにしていた。
ネット検索で調べてたが、娘ちゃんからのアドバイスもあり、ブログを見るようになった…。
読んでいただき、ありがとうございます。
決して後ろ向きではありませんが、淡々としか書けないです💦😅
とりあえず、元気は元気ですよ〜😊