私が「かな」を嫌う理由【後編】 | わたる風よりにほふマルボロ

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短歌往来2023年9月号

作品が掲載されました

nagarami@jasmine.ocn.ne.jp

(ながらみ書房さま)

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及ばぬ高き姿を追へ。

新古今見ざる歌詠みは

遺恨のことなり。

 

ごきげんよう、梶間和歌です。

 

 

安易な感情・解釈表現を嫌う

梶間和歌が

特に終助詞「かな」に抵抗感を抱く

理由について……。

 

 

平安時代の和歌や歌人を好む方には

昨日の記事など

不快で仕方なかったかもしれません。

 

 

好き嫌いの感情のあることですので、

 

「この時代はこうである、

 いっぽうこの時代はこうである」

とフェアに書こうと努めても

 

どうしてもどこかに

価値判断が入っていると思います。

 

私としても

特に弁解するところはありません。

 

 

ご気分を害された方には

 

「ごめんなさい、ただ、

 それであればお互い離れましょう。

 

 そしてここは私のブログ。

 離れるのはあなた」

 

ということで……ご容赦いただけたらと。

 

 

さて、さて……昨日の続きです。

 

【昨日の記事】

 

 

 

私は

西洋哲学が東洋哲学より上位に来る

とは必ずしも考えませんが、

 

安易に自身の感情を表明したり

自身の解釈を疑う余地もなく

表明したりする

平安歌人たちの態度について

 

「もうちょっときちんと考えろよ」

「思考を放棄するのが早すぎるだろう」

と思われてしまうところは否めません。

 

 

理性信仰の強い近代以降の西洋哲学は

言うまでもなく、

 

ギリシャ哲学なども、

(素人の私が齧った程度の把握ですが)

「なんとなくそうらしい」

という帰着に甘んずることなく

徹底的に考え抜こうとしますよね。

 

それが良さでもあり、

また西洋哲学の限界でもある

と両面思うわけですが、

 

長所短所の判断はともかく、

西洋哲学には

徹底的に考え抜こうとする傾向が強い

とはいえると思います。

 

 

 

先述のような平安貴族の生きた

平和な平安時代から数百年下り、

 

私の尊敬する京極派歌人たちは

 

変化した時代の影響を受けたことも

 

もちろんですが、

自身の選んだ歌論から導かれる

必然的な結果として


思想のベースは東洋哲学でありながら、

それに馴染まない

「きちんと考える」こと、

「メタ視点を持つ」ことに努めました。


その飽くなき姿勢を

私は心から尊敬します。

 

 

ただ、私は

そのアウトプットとしての京極派和歌に、

そうした背景を知る前から

強く惹かれていました。

 

 

のちのちその背景を知り

その敬愛の念がいっそう増しましたが、

背景を知った【から】

その理解を根拠に好きという感情を抱いた

というわけではない。

 

そのような背景をことさら喧伝せずとも

 

問答無用に惹きつけるものを、

そのような背景を持つ京極派和歌は

内包していたのだ、

 

ということが言いたいです。

 

 

良いものは良い。

 

背景など説明されずとも、

圧倒的な力を持つ【ほんもの】は

圧倒的な力で殴り掛かってくる。

出逢ったが最後、逃れることはできない。

 

ただ、その背景を知ることで

好きな気持ちや尊敬の念を増すことは

できますね。

こちらも事実です。

 

 

 

ところで、

 

東洋哲学にも、唯識論のように

ロジックを積み上げる思想はあるわけで、

しかも京極派には

唯識論がかなり影響しています。

 

先に述べた
「思想のベースは東洋哲学なのに」

という表現も、

切り取り方次第では適切でない。

 

現在の私に

これ以上の正確な言語化は困難です。

 

 

 

そのあたりはともかく、

少なくとも言えるのは、

 

 

平安貴族は

考え抜くまでもなく答えらしく見える

 

解釈に寄り掛かり

「そういうものだよねー」

と合意形成できる幸いな環境に

生きることができた、
 

その貴族の世が武士の世と移り、

新古今時代には

前時代のような無邪気な態度を

取ることが困難になり、
 

京極派歌人は

その視線を

さらに研ぎ澄まさざるを得ない

厳しい環境に生きた、

 

 

それらの結果が

それぞれの時代の

それぞれのグループの和歌であり、

その歌風である、

 

 

ということです。

 

 

 

京極派和歌にも

 

「かな」で締められた和歌が

ないわけではありません。

 

伏見院など、

そこそこ「かな」を使用している

印象があります。

 

しかし、その気配が

平安時代のそれとはまったく異なります。

 

少なくとも、正安の政変という

彼にとっての大きな挫折体験を

乗り越えたあとの「かな」使用歌は。

 

 

深い思索を経ず

感情ですべてを片づけ

「かな」等の詠嘆表現という便利なものに

逃げようとする弱い自分

 

突き放して見つめ、いったん相対化し、

 

そのように見ている自分

を見つめる視線、

 

世界のすべてを受け入れた

真実優しいまなざしを以て、

 

「……かな」

 

と慎ましく置く。

 

 

平安時代やそれ以前の和歌と

比べてみてください。

 

比較にならないですよ。

 

 

のどかにもやがてなり行くけしきかな昨日の日かげけふの春雨

 

鳴きぬべき夕暮ごとのあらましに聞かでなれぬる時鳥かな

 

 

【昨日の記事】

 

 

京極派について知る

(発掘しきれず……これらはほんの一部です)

 

 

 

 

 

 

*:..。o○ ○o。..:*

 

いつも応援、また金銭的なご支援も

本当にありがとうございます。

 

 

ご支援を募ることについて

考え方が変化しつつあり、

 

 

 

 

現在このようなとおりです。

 

 

「経済的に困っているので助けてほしい」

という募り方をなるべくしたくない。

 

「この人を応援することは良いことだ」

という確信を以て、または

「この人おもしろい。応援したい」

という明るい動機から

応援していただくため、

 

経済的に困っている時も

困っていない時も

堂々と支援を求められる自分であるべく

日々全力で和歌と向き合っております。

 

 

このあたりの文章化には

もう少しお時間いただきますが、

 

それまでも、これからも、

梶間和歌にいっそう和歌仕事に

集中させるべく、どうか

応援よろしくお願いいたします。

 

それでは、またね。

 

*:..。o○ ○o。..:*

 

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