九条左大臣女 ほととぎす【後編】 | わたる風よりにほふマルボロ

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丗首歌めされし時、聞郭公といふことを

 

ほととぎす声さやかにて過ぐる跡にをりしもはるる村雲の月

 

九条左大臣女(二条道良女)

玉葉和歌集夏331

 

 

訳や語釈、解説の前半は
昨日の記事をお読みくださいね。

 

 

 

いろいろお話してきた

「ほととぎす」詠についてですが、

 

ちょっと、聞いてください。

 

 

2016年ごろのクリスマスに

友人がプレゼントしてくれて以降

愛読している

次田香澄校訂『玉葉和歌集』

 

 

には、この「ほととぎす」の作者が

 

「九条左大臣」

 

とあるのです。

 

 

 

初学のころは

ものがよくわかりませんから、

 

「九条左大臣女のお父上の歌も

 入集していたのか」

ぐらいに思っておりました。

 

 

が、その後どの本を読んでも

「ほととぎす」は

九条左大臣女の詠として

書かれているではありませんか。

 

 

そして、先に引いた

岩佐美代子氏の図書にも

 

乾元二年は八月五日改元、嘉元元年となる。

この年伏見院は三十首歌を召した。

九条左大臣女もその人数に加わり、勅撰集の詞書(略)から、次の五首がこの時の詠と確認される。

(略)

 

聞郭公

郭公声さやかにて過る跡におりしもはるゝ村雲の月 (玉葉、三三一)

 

とあります。

 

 

九条左大臣女の父、

九条左大臣二条道良は

正元元年(1259年)に死去、

 

嘉元元年(1303年)

伏見院主催の三十首歌は

当然そのあとです。

 

「ほととぎす」が

嘉元元年に詠まれた

と推定される以上、

これが二条道良の詠である

可能性はゼロですね。

 

 

 

そういえば、『新編国歌大観』にも

山もとのしげきひばらのしたばかり光およばぬ秋の夜の月

玉葉和歌集秋下679(680)

の作者が

「九条左大臣」とありますが、

これは九条左大臣女の詠です。

 

 

 

まあ、いろいろ、

いろいろあるのでしょう。

 

 

ほととぎす声さやかにて過ぐる跡にをりしもはるる村雲の月

 

 

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