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3月から「歌塾」にて
講師を務めます
note新企画
2021年1月分アップしました
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及ばぬ高き姿を体現する
子宮系歌人 梶間和歌です。
知人の開発中の
オンライン部活プラットフォーム
「ENERGEIA」、
そのなかで私の主宰する
「新古今・玉葉・風雅和歌部」の
話から。
同時期に部活開始予定の
部長仲間のひとりと話していて
言われた事を、
昨日の記事でシェアしました。
「和歌さんは、たぶん
誰かのアドバイスを受けて
良くなるタイプじゃない。
和歌さん自身が行動しながら、
またやろうとしている事を
人に話しながら、
自分自身のアウトプットによって
自分自身が何かに気づき、
さらに良くしてゆく、
という感じなんだろうな」
「それな」の図。
これ、二次創作経験者、
いや、芸術家全般に
同意してもらえるのでは、
と思うのですが。
自分の理想とするものが
見えたのに
それがどうやらこの世に存在しない、
と気づいた時、
よろしい、
では私が創ります、
と創作の道に入った方、
多くありませんか?
私は中高時代に
ゆるーく腐女子していましたが、
最初のきっかけは
やはりそれでした。
そのころは特別好きな漫画があり、
その二次創作作品を
ウェブ上であれこれ見ていました。
でもある時期に
「どうしてこうなんだろう? 」
「この人もあの人も
どうしてここがこうなんだろう? 」
と小さな不満が溜まっていることに
気づいて。
「だったら、私が創る」
「私が満足して見られるものを
私が創る」
という始まりでした。
そうして始めてみることで、
たとえキャラクターや設定を
既存の作品から借りたとしても
ひとつの漫画や小説を
最後まで完成させるのは
死ぬほど大変なことだったのだ、
と気づくのです。笑
当然、
もともと小さな不満を持っていた
先輩創作者さんたちへの
敬意も、持ち直す。笑
ただ、同時に押さえておきたいのが、
その場合足りなかったのは
技術のほうだった、ということ。
完成形は見えていた、
ただ技術が足りなかった、
ということ。
技術さえ足りていれば、
見えていた完成形に従って
創りきればよかっただけ、
だったのですね。
芸術家のすべき事は、その作品の声が聞こえるよう自分の心をクリアにしておくこと。
そしていざ「降ろしてほしい」という声に気づいた時に技術不足であるという事態を避けるため、常日ごろから技術を磨いておくこと。
このふたつだけなのだ。
現在の私の歌論で説明できる事を、
中学生のころにはもう
経験し始めていたのでした。
昨年出版した歌集を
ご購入くださった方に、こんな
ご感想を頂いたことがあります。
「まさしくこんな歌集が読みたかった! 」というご感想を頂きました。私自身、「読みたいと思える歌集がない! ならば私が! 」というつもりで #生殖の海 を編んでまいりました。その想いがそのまま伝わる方に歌集がお届けできたこと、本当にうれしいです。https://t.co/cmiDgvB5DH#梶間和歌
— 梶間和歌 (@WakaKajima) July 26, 2020
そうなのです。
読みたいと思える歌集が
現代短歌業界にはない。
私の歌集は
“現代短歌”の歌集ではない
ということはありますが、
少なくとも“現代”の歌集
という位置づけではありました。
なので、
「私が読みたいと思える歌集を
自分で創る」
「私がお金を出して
買いたいと思える歌集でないと、
創る意味がない」
というつもりで臨みました。
私がお金を払ってでも買いたい
と思える、
一章一章独立しているのに
一冊読み通した時に
ひとつの概念に貫かれている
とわかるようなつくり、
短編小説集の和歌版、
という完成形が先に見えていた。
しかし、現実にはそれが
まだこの世に存在していない。
完成形がクリアに
見えていればいるほど、
そのギャップは心地悪い。
なので、
理想を現実にする、
未来を現在にする、
そのために全力を尽くす、
という感じでした。
出版までの日々は。
もちろん、二次創作と同じで
始めてみることで気づく事もあれば
「これでよかったのだ」という確認が
できる事もある、
やりながら軌道修正して
昨年5月時点の技術で
理想形に最も近い形に持っていった、
ということです。
そんな歌集。
これ、そもそも和歌の勉強を
始めた当初も同じでした。
続きの明日の記事で終わると
思うので、
もう少々お付き合いくださいね。
いつも応援ありがとうございます。
それぞれの及ばぬ高き姿を
それぞれ追ってゆきましょうね!
引き続き、応援
よろしくお願いいたします^^
それでは、またね。