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及ばぬ高き姿を体現する
子宮系歌人 梶間和歌です。
もうこのシリーズは
やめたほうがよいのではないか
というぐらい長期間サボっている、
Twitterツイートを引用した
コラム記事です。
まだやるんかい。
しかもまた辛口いくよー!
梶間和歌@WakaKajima「“も”“さへ”などには感情が入るので使いすぎ注意」というのには賛成。ただ、“も”を例えば“の”した時、語尾は連体形に直しましたか、という点まで気をつけている歌人は、現代にほとんどいません。「の」を受ける用言は原則連体形になります。 #梶間和歌 #歌の詠み方
2020年04月14日 14:16
梶間和歌@WakaKajima格助詞「の」が主語を表す場合、受ける述語は連体形。「紫だちたる雲の細く棚引きたる」でしょう、「棚引きたり」ではない。現代短歌の先生方が「ここは連体形にすべきでない」と言うのは、その方に古典と古典文法の知識がないだけです。先生だから… https://t.co/YrZIBb7omg
2020年06月07日 18:04
4月14日のツイートの引用を
8月半ばにするなんて、
サボりすぎです。笑
ブログ自体は
一日も休まず続けてきたので、
ブログのやる気の問題ではなく
シリーズのやる気の問題でしょう……。
ほかにも
こんな事をつぶやいていますが、
梶間和歌@WakaKajima「短歌は我(われ)の文学」と、どのくらい考えたうえで言っているのか? そんなのここ百数十年の話。子規も為兼も定家も俊成も、当時当たり前だったものを無批判に受け入れず「本当にそうすべきなのか? 」と問うたからこそ、和歌の改革が成し遂げられたわけで。 #梶間和歌
2020年06月07日 22:10
梶間和歌@WakaKajima子規は貫之の弊害をぶち壊しました。あの時代には必要な事だったでしょう。そして現代では、逆にその子規茂吉の弊害こそ大きくなっている面がある。 「短歌ってこういうもの」それ、誰が決めたのですか? 自分の頭で考え、調べ、心で選択した結果の信念なのですか? #梶間和歌 #歌の詠み方
2020年06月11日 12:44
梶間和歌@WakaKajima少なくとも私は、定家の歌や姿勢を自分なりに咀嚼したうえで、従ったり無視したりしていますよ。定家の歌風も歌論もその一生で変化したし、そもそも彼は私ではない。『万葉集』万歳ピーポー、子規茂吉万歳ピーポーを嫌うように、私自身定家万歳パーソンではありません。 #梶間和歌 #歌の詠み方
2020年06月11日 12:46
揺るぎない基礎があって、
それに飽き足らぬ精神ゆえに
「本当にそれでよいのだろうか」
と問う姿勢と、
基礎も何もない、
ただ「先生がこう言ったから」
「茂吉がこうしたから」
「そうして習ったものと違うから
これは間違いだ」
という根拠にもならない根拠で
無手勝流を展開し
他者を批判する姿勢と、
が同じはずがないでしょう。
歌を見ればわかりますよ。
「歌というものに対して
リスペクトのある人の歌だな」
「リスペクトがあって、
しかも技術もある人の歌だな」
「リスペクトはあるものの
技術はまだ足りない人の歌だな。
とはいえリスペクトがあるのだから
この先の飛躍も時間の問題だ」
または
「この人は
歌を利用しているだけだな。
リスペクトのかけらもない。
ただ“自己表現”のために
歌という型が都合がよいから
と使っているだけだ」
どちらなのかが。
歌の気配という部分については
引用しきれないくらい(笑)
記事にしてきましたが、
歴史や基礎を踏まえたうえでの
健全な批判と
ただ自己顕示したいだけの
批判のための批判
批判精神すら持たず
“自己表現”したい欲を
満たすためだけの無手勝流
は、一目で見分けられます。
「ではどれだけ基礎をやったら
健全な批判ができる
というのか? 」
自分で考えろ笑
そんな質問をする暇があったら
基礎を身に着ける努力をしましょう。
やればそのうちわかる。
やらぬうちから理屈をこね
正解を求めようとする人間には
一生わかりません。
少なくとも、
「紫立ちたる雲の、細く棚引きたる」
がなぜ「棚引きたり」でないのか
が、
単なる文法的な知識としてではなく
体感覚として
「そりゃ、「たり」じゃダメでしょ」
と言えない人。
基礎が足りていません。
あんまり言うとまた敵を増やすけど笑
現代短歌のほとんどの人が
該当してしまう笑
まあ、
本当の事を言うと敵が増えるのは
いまさらですね。
それに
短歌に限ったことでもないし。
それでは、またね^^
こちらはご参考までに。