藤原家隆 影宿す | わたる風よりにほふマルボロ

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影宿す井手の玉水手に汲めば雫もにほふ山吹の花


藤原家隆

壬二集上19、1024

 




【口語訳】

 

山吹の影を宿す

井手の川の玉のような水。

それを手に汲むと、

そこからこぼれ落ちる雫さえ

美しく輝いて見えるよ、

匂い立つ山吹の花の影が

映り込むものだから。


(訳:梶間和歌)
 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

影宿す:姿を映す

 

井手:山吹と蛙の

 名所として知られる歌枕

 

玉水:「水」の美称

 

手に汲めば:手に汲むと。

 「ば」は活用語の已然形に付くと

 順接の確定条件や恒常条件を表す。

 ここでは確定条件のうち

 時系列を表す意味

 (手に汲んだところ、雫も匂う……)と、

 恒常条件を表す意味

 (手に汲むといつも、雫も匂う……)と、

 どちらとも取れるが、

 前者で読んだほうが臨場感があるか。

 

にほふ:美しく咲く、快く香る、

 (花とは無関係の主語の)

 美しさがあふれている、

 などの意味があるが、

 元は「丹秀ふ」で

 目に見える美しさを表した。

 その元の意味を抑え、

 「雫さえ美しく匂う」と

 訳さずに受け取るのが理想的。

 

 

 

新古今時代に定家のライバルとして

活躍していたのが家隆です。

 

現代では印象が薄いですが、

当時は公認のライバル。

 

『新古今集』ひとつ取っても、

家隆の歌の次に

定家の歌が配置される

といった例がいくつも見られます。

 

 

源通具の歌と俊成卿女のそれが

『新古今集』中で

並べられているのは

社会的な協力関係を

示したものですが。

 

(詳しくはこちらをご覧ください)

 

家隆と定家の並びは

協力関係ではなく、

ライバル関係の表れですね。

 

 

 

そんな家隆ですが、

壬生二品(みぶのにほん)とか

壬生二位とかいった通称もあり、

 

壬生二品の家集ということで

『壬二集』と呼ばれる家集が

残っています。

 

 

その『壬二集』の、

 

「初心百首」と

「二百首和歌」との

両方に

 

この「影宿す」が入っている

という不思議な事態が。

 

 

『万葉集』などではさもありなん、

ですが、

 

家隆の家集に歌の重複がある

というのは不思議です。

 

「二百首和歌」を詠んだ時に

「初心百首」の際に詠んだ過去の歌を

うっかり重複して入れてしまった、

ということなのかしら。

 

 

影宿す井手の玉水手に汲めば雫もにほふ山吹の花

 

 

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