藤原俊成 み吉野の | わたる風よりにほふマルボロ

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十首の歌人々によませ侍りける時、花の歌とてよみ侍りける

 

み吉野の花のさかりをけふ見れば越(こし)の白根に春風ぞ吹く

 

藤原俊成

千載和歌集春上76

 


 
【現代語訳】

 

見よ、み吉野の花の盛りを今日見ると、

それはさながら

年中雪を頂いているという越の白山に

春風が吹き

白雪を散らしているようだ。


(訳:梶間和歌)
 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

桜咲く春の山べは雪きえぬ越の白根の心ちこそすれ

作者不詳 若狭守通宗朝臣女子達歌合

 

み吉野:「吉野」の美称。

 「見よ」をほのかに掛ける。

 

花:桜、山桜。

 現在のソメイヨシノと異なり

 遠目に白く見えるので、この歌では

 雪の見立てを成り立たせている。

 

見れば:見ると、見たところ。

 「ば」は未然形に付くと

 順接の仮定条件、

 已然形に付くと順接の確定条件や

 恒常条件などを表す。

 

越の白根:越の国の、峯の白い山、

 加賀白山のこと。

 常に雪の消えない山とされた。

 

 

 

俊成自身が撰者を務めた

『千載和歌集』にて

「春上」巻軸、巻の最後に据えられた

歌です。

 

 

俊成の、こうした華やかさのある歌も

良いですね。

 

渋いばかりが俊成ではないというか。

 

 

というか、

白と白、花と雪を重ねて

歌に華やかさや清々しさを

持たせているのに、

 

句切れもなければ

語法にも奇をてらわない

落ち着いた詠みぶりゆえか、

 

華やかさに走らない

俊成らしい渋みの気配が見えるような。

 

 

 

「み吉野の」の詠まれたのは、

同時に詠まれた他の歌から

年内立春のある年だった

とわかるので、

 

他の情報も含めて考えると

仁安二年、嘉応二年、承安二年

のどれかかと推測されるそう。

 

俊成が歌合を主催した形跡は

生涯にわたってないのですが、

 

やや大規模な歌会を

一度だけ催したことが

俊成その他の家集などから

確かめられるとか。

 

その、年の特定されない

生涯に一度の大規模な歌会にて

「み吉野の」が生まれました。

 

 

 

その後、

『千載集』撰進の命の下ったのが

寿永二年(1183年)、俊成七十歳、

 

完成、奏進が文治四年(1188年)

俊成七十五歳の年。

 

 

現代でこそ

バリバリ活躍する七十代など

聞くようにもなりましたが、

 

鎌倉時代の頭に。気が遠くなりますね。

 

 

ちなみに

俊成の享年は数え九十一歳です。

 

『千載集』を編んだのち十五年余生きて

歌壇で活動します……。

 

 

み吉野の花のさかりをけふ見れば越の白根に春風ぞ吹く

 

 

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