藤原定家 ひとり寝る | わたる風よりにほふマルボロ

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美しい和歌に触れていただきたく。

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『源氏物語』を使った心理学講座。

次回講座は12月1日

空蝉の人生を題材にします。

その後のスケジュールはこちらです。

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百首歌奉りし時

 

ひとり寝(ぬ)る山鳥の尾のしだり尾に霜おきまよふ床(とこ)の月かげ

藤原定家
新古今和歌集秋下487
 
 
【現代語訳】

昼間はつがいで

睦まじく過ごしながら
長い長い夜を独り寝する山鳥よ。

長い長い夜を独り寝する

我が床に、

長い長い山鳥の尾に

霜が置くかのように

月光が白々と射し入ってくる。

(訳:梶間和歌)
 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

足引きの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む

柿本人麻呂 拾遺和歌集恋三、773

 

昼は来て夜はわかるる山鳥のかげ見るときぞ音(ね)は泣かれける

詠み人知らず 新古今和歌集恋五、1371

 

山鳥:キジに似た野鳥の名。

 昼間は雌雄がともに過ごし

 夜は峯を隔てて寝る

 という言い伝えから「独り寝」を、

 また雄の尾羽の長いことから

 「長い」「夜が長い」ことを

 連想させる。

 

霜おきまよふ:

 霜が置いたかと見紛われる

 

霜おきまよふ床の月かげ:

 寝床に差し込む月光を

 霜が置いたかと見立てた表現。

 

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千五百番歌合に発展した

定家40歳の折の百首歌ですが、

四季の歌では春歌以外

あまり私好みのものがなく。

 

ぱっとしない秋歌のなかで

ほぼ唯一ですね、

目を引いたのが

この「ひとり寝る」でした。

 

柿本人麿の歌などけしとんでしまう、冷やかにしてきらきらしく、しかも歌への情熱に燃えています。

とは、塚本邦雄の言葉。

 

 

「霜おきまよふ」なので

霜が置いているわけではない、

 

射し入る月光が

あたかも霜が置いたかのように

床を白く浮かび上がらせている

ということ。

 

 

ではありますが、

 

独り寝の寂しさを

あくまで情緒的にせずに

 

叙景ではないものの

まるで叙景であるかのように

感情を制して

詠み上げたところに、

 

逆に、霜の置くほどに冷たい床、

冷たく冷え切った恋心が

読み取れるというもの。

 

 

惚れた腫れたの

捨てられてつらいの

何のかんのと

感情を垂れ流す歌ではなく、

 

こうした抑制の利いた

恋歌とも言わない恋歌こそ、

私の好むもので。

 

 

そもそもこれは

秋歌としての並びですしね。

 

『新古今集』入集時も秋ですが、

そもそもの百首歌の時点でも

秋歌として詠まれています。

 

その季節の裏の背景に

恋の情緒を

さりげなく配置するのが

 

定家の美学であり、

新古今歌人の美学なのでしょう。