相模 手もたゆく | わたる風よりにほふマルボロ

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題しらず

 

手もたゆくならす扇のおきどころわするばかりに秋風ぞ吹く

 

相模

新古今和歌集秋上309

 

 

 

【現代語訳】

 

手もだるくなるまで

夏のあいだ音を鳴らし、

使い馴らした扇の

置きどころを忘れるほどに、

最近では心地好い秋風が吹くよ。

扇も使い飽きてしまったから。

 

(訳:梶間和歌)

 

 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

常恐秋節至 涼風奪炎熱
棄捐篋笥中 恩情中道絶
「玉台新詠」巻一 班婕妤 怨詩一首

 

班婕妤団雪之扇 代岸風兮長忘

「和漢朗詠集」夏 納涼 大江匡衡


おほかたの秋来るからに身に近くならす扇の風ぞ変はれる
後拾遺和歌集秋上237 藤原為頼

 

たゆく:怠く(なるほどに)

 

ならす:

 「鳴らす」と「馴らす」を掛ける。

 「手もたゆくならす

 (成らす=ならせる)」も掛けるか。

 

わするばかりに:忘れるほどに。

 終止形に付く「ばかり」は

 程度、範囲を表し、

 「ほど」などと訳すとよい。

 連体形に付く「ばかり」は限定で、

 「だけ、かぎり」などと訳すとよい。

 

秋:「飽き」を響かせる

 

 

 

治安三年(1023年)の百首歌で

詠まれた歌で、題は「早秋」です。

 

 

相模は、大まかにいうと

紫式部あたりの1世代下ぐらいの

世代になるでしょうか。

 

『源氏物語』が

史料に最初に出てきたのが

寛弘五年(1008年)

 

相模の生年は西暦1000年になる

少し前あたりと考えられています。

 

結婚生活の終了後に仕えたのも、

一条天皇第一皇女

脩子内親王とか

後朱雀天皇の第三皇女

祐子内親王とか。

 

一条天皇中宮彰子(上東門院)

仕えた紫式部や和泉式部より

若い世代ですよね。

 

 

祐子内親王の女房ということは、

『源氏物語』に憧れた

菅原孝標女とも

同僚だったのかしら。

 

仕えた時期に

ずれがあるかもしれませんが。

 

また、祐子内親王の女房としては

紀伊も有名ですよね。

 

 

 

ひたすらおおらかな、

言い方を変えれば

退屈でつまらない歌の

もてはやされた和泉式部、紫式部

のころと比べると、

 

「手もたゆく」は

ずいぶん洗練されて見えます。

 

相模の歌をざっと見ると、

決してこういう洗練されたつくりの

歌ばかりではないのですが、

 

なんにしても、紫式部のころとは

歌の気配が違いますね。

 

 

ひとりの天才によって

歌の流行が変わった

などということはなく、

 

こうして少しずつ

新古今時代の下地が

(なら)されていったのでしょうね。

 

『源氏物語』から『新古今集』まで、

だいたい200年かかるのですもの。

 

それは、ね。

 

 

手もたゆくならす扇のおきどころわするばかりに秋風ぞ吹く

 

 

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