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百首歌の中に
跡もなき庭の浅茅(あさぢ)にむすぼほれ露のそこなる松虫のこゑ
式子内親王
新古今和歌集秋下474
ほしいままに生い茂っている。
その浅茅に
くぐもった鳴き声を響かせるのは、
露のしとどに結んだその底の草陰に
人待ち顔に暮らす松虫だよ。
訪れる人もなくなって久しい、
鬱屈した心にすっかり慣れてしまった
我が家の庭に、
それでもなぜ、涙の露は置き、
我が心に人を待とうとする気持ちが
生まれてくるのだろうか。
(訳:梶間和歌)
【本歌、参考歌、本説、語釈】
様々の浅茅が原の虫の音をあはれひとつに聞きぞなしつる
九条良経 千載和歌集秋下329
跡:足跡、人の訪ねたあと
浅茅:
荒れ地に生える、背の低いちがや
むすぼほれ:露が置くことと
鳴き声がくぐもっていること、
心情が鬱屈していることを表す。
また「浅茅」と「結ぶ(結ぼほる)」も
縁語。
露のそこ:
紫藤露底残花色 翠竹煙中暮鳥声
「藤」 源相規 和漢朗詠集、春、134
露は涙を暗示する。
正治二年(1200年)詠進の
「正治初度百首」。
式子内親王の死の半年ほど前に
詠まれ、完成しています。
詠んでいる最中も
乳がんと思われる病の床に
ありました。
表向きは松虫の歌として読み、
その裏に
訪れる人もない寂しい住まいに
なお人恋しさを抱く自分に気づいた
女性の心情を読み取ると
よいかと思います。
浅茅は荒れ果てた寂しい土地に
生い茂るものとされますし、
『源氏物語』の末摘花だとか
浮舟だとか、そういう女性を
イメージするとよいでしょう。
もっとも、末摘花が
果たして光源氏の訪れのないことを
寂しく思っていたのか、
自分が愛されていないことに
そもそも気づいていたのか、
という問いはあるわけですが。
イメージです、イメージ。
「露のそこ」は
漢語の「露底」を訓読した歌語。
千載、新古今時代には
いくつもの新しい語の使用が
短期間で流行しましたが、
「XXの底」という表現もそのひとつ
とのこと。
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式子自身、A百首と呼ばれる
死の約10年前に詠まれた
と考えられる百首歌に
「心のそこ」「夕ぎりのそこ」を
使用しています。
後者は訳した記事がなかったですね。
おしこめて秋のあはれにしづむかなふもとの里の夕霧のそこ
式子内親王集48
です。訳はまた、改めて。
跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ露のそこなる松虫のこゑ
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