式子内親王 さりともと | わたる風よりにほふマルボロ

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百首歌中に

さりともと待ちし月日ぞうつりゆく心の花の色にまかせて

式子内親王
新古今和歌集恋四、1328

 




【口語訳】

そうであっても

さすがにこのままということは、

とわずかに望みを懸けて

待ち続けた月日は移りゆき、

気づけば

途方もない時間が過ぎていた。

花の色の移るに任せ、

人の心の花も移ろうに任せて。

(訳:梶間和歌)
 
 

【本歌、参考歌、本説、語釈】

 

世の中の人の心は花染めのうつろひやすき色にぞありける
詠み人知らず 古今和歌集恋五、795

 

色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける
小野小町 古今和歌集恋五、797

 

人の心の花にまかせて、月日むなしくうつりゆくに

『今物語』二十三

 

さりとも:そうであっても

 

月日ぞうつりゆく:月日が経つ。

 「心の花の色」の移る、色褪せる

 ことも掛ける。

心の花

 花のように移ろいやすい人の心
 

まかせて:従って、連動して
 
 

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結句「色にまがへて」とするものも。

 

 

伯母に当たる式子内親王を

歌人として大変尊敬、尊重した

後鳥羽院は、初学のころに

 

さりともと待ちし月日もいたづらに頼めし程もさて過ぎにけり

正治初度百首81

 

と詠んでいます。

 

本歌取りとも呼べないほど

酷似した発想、表現ですが、

 

それだけ院が内親王の歌を

好んで学び摂取した

ということでしょうね。
 
 
『古今集』のころには、
見立てなどの比喩が生まれて

発達したといいます。
 

「さりともと」の本歌として挙げた

『古今集』の2首に限らず、

「○○は××なりけり」

というような表現も多いです。

 

「けり」は気づきの助動詞

と言われますから、

 

「××なりけり」とは

「気づいてみれば、××だったのだ」

「いまごろになって

 ××であると気づいたよ」

というニュアンスですね。



新古今時代には、少なくとも

歌を詠むような貴族層には
 

『古今集』において示された
「○○は××である」という認識が

とうに共有されている。
 

その共通認識は当然のこととして、
その見立てや喩えを展開させて

詠った歌が多いですね。

 

 

そのお約束事、教養を

共有していない状態で

新古今和歌を味わおうとすると、

なかなか難しいところがあります。

 

が、すべてとはいわずとも

ある程度

そのあたりに馴染んでくると、

 

前者の素朴な発見の歌より


ひとひねりふたひねりと

技巧の加わった後者のほうが

うんと楽しめます。

 

少なくとも、私には。



それでもきっと

前者の『古今集』のころには
そういった発見が
真新しくうれしいものだったのだ、

だからこそ歌に詠んだのだろう、

 

という想像は

もちろんできるわけですが。

 

想像でき理解できることと

共感でき感動できることとは

別の問題ですね。

 

 
さりともと待ちし月日ぞうつりゆく心の花の色にまかせて
 
 

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