皆さん『罪』って聞くと、どんな思いになりますか?
おそらく多くの日本人が「悪い事」と認識するでしょう。
まぁ間違ってはいませんが、原語の意味として、少し抜け落ちた意味があるので正確ではありません。
『罪』と言う言葉を辞書で引いてみると
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法にふれる。法によって刑罰を科せられる非行。刑罰を与える。とが。つみ。つみなう。
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良心・道徳のとがめをうけること。仏教で、悪い果報をうむ因。
と出てきます。
だから街頭で聖書の話をする人が「人類はみんな罪人です」なんて叫んでも
『はぁ?何でそんな事あんたに言われなきゃならないの?』
とか
『いや俺はもの盗んだ事も人を殺傷した事も無いし』
なんてなるんです。
ものすごく盛大にすれ違ってるけど、これはほとんどの場合どちらも嘘言ってないんです。
普通はこの辞書の意味でみんな考えていますが、罪って言葉の原点は聖書で「的(神様の意図)を外す」と言う意味で、その前の時代では『咎(とが)』と言う言葉が今の『罪』に当てられていた言葉でした。
だから罪=悪ではなく、うちらが普通に考えてしまう自己中心的なことや、配慮の足りない言動、誰かを傷つけること全般を『罪』と呼ぶのであって、ただ法律を犯していないからと言って正義ではなかったり、許されてることだけどBestじゃ無いことも存在するのです。
それを踏まえた上で、教会で起きた事を自分の反省も込めて、一つ伝えようと思います。
それは去年のクリスマスのこと。うちらの教会ではご馳走が振舞われていました。
チキンはもちろん、パンとコーヒー、サラダや手作りのデザートなど、しかもそれらをビュッフェ形式で食べていいのです。
まだ明るい時間の上、幼い子供や中高生、車に乗ってきた方に配慮したのでお酒は出ませんでしたが、クリスチャンじゃなくても、こんなパーティーは素晴らしいと思いますよね?
そこで僕は自分の料理をとって仲間と楽しむ事を考えて列に並びました。
そこで一人のおじいさんを見かけました。
なぜ目についたのか?正直お世辞にも立派とは言い難い身なりだったから。
でもその時は何もせず、目当ての料理をとって、友人と食事をはじめました。
二度目に列に並んだ時も、そのおじいさんはほぼ同じ場所にいました。
しかし友と話している最中だったので、さっさと料理をとって戻りました。
三度目…。もう一度同じ場所でそのおじいさんと会ったので、さすがに「おかしい」と思い近づいて話しかけることにしました。
近付いてよく見てみると、彼は足が不自由で杖をついていた。だからその場から動けずに料理にありつけなかったのだとか…。とにもかくにも彼の料理と席を準備して話してみることにした。
彼はとても気さくに僕に話してくれた。その話の間も『どこで知り合ったの?』とか「どこからかホームレスが紛れ込んだのかな?」と僕に聞いてきた人もいた。まぁ、正直僕自身もそう思ったのだから、その人たちの言葉を責めることはできない。
でも彼の話を聞くうちに、彼が実は友達のお父さんであること、たまにうちの教会に足を運んでくれていたことなどが分かってきた。
友人とその父であるおじいさんは何回も感謝を口にしてくれた。でもその時ほど自分の心のうちを恥じたことはなかったかもしれない。
テストでカンニングがバレた時より、
万引きををして母親に頭を下げてもらった時より、
職を失って金が無くて、食べ物や着る物を恵んでもらった時より、
そのどれよりも、その日の『当たり前の行動』の結果、友の父親を心の中で粗末に扱っていた自分を恥ずかしいと思ったのです。
確かに友達とランチを楽しんでいた。その行動は何も悪く無い。
そのおじいさんを放っておいても、僕は何の責任もおわなくて良い。
もしリーダーだったら自分のチームやタスクのために時間を使うべきだろう。
何も法律に反していないし、むしろ友を重んじていた。でも聖書にはハッキリと『その程度の事は極悪な賞金首でもやってる』って指摘されてる。
普段から「クリスチャン(=キリストに従う者)」とか「神様の息子の一人」って口で言ってるくせに、全然行動と思いが伴っていない『口先野郎』になってしまっている事に気付かされてしまった。
その日から、目を皿にして人を見るようになった。だってこの時の苦さを二度と味わいたくないから。
人生色々あるから、金がなくなる事はあるかもしれない。
ミスをしない日なんか恐らく死ぬまで来ないだろう。
異性に振られて自分の価値を疑うこともあるかもしれない。
誰かに誹謗される事も、自分の信念を傷付けられても口をつぐまなきゃならない事もあるだろう。
でもそれよりも自分の行動が言葉に伴ってない事実を突きつけられる事は、何よりも苦い。
他の神様はどうだか知らないけど、イエス=キリストは例え僕がどれだけ無慈悲でも責めない。
例え法に触れて「咎」があったとしても、愛する事をやめない。そして口にした事を実行しない事も無い。罪を帳消しにするためにこの世にきたし、そのために命を捨てなきゃならなくても喜んで命を差し出す人。
これはルールじゃない。義務じゃない。自分の口から出した言葉に対してどうありたいかって話。だから誰だって簡単に『罪人』になり得る。でもあなたはどんな自分になりたい?って問うそんな話。