(2)なぜ日本からメキシコ、ブラジルに移民したのか?
1900年代の初頭、日本からメキシコ、ペルー、ブラジルへと移民が盛んでした。
人口の急激な増加に比べ、田畑となる農地が不足したため、新天地を求めて移民したわけです。
では、なぜ、そのころ、日本人が日本に住んでいけないほどの人口が増えたのでしょうか?
人口の急激な増加に比べ、田畑となる農地が不足したため、新天地を求めて移民したわけです。
では、なぜ、そのころ、日本人が日本に住んでいけないほどの人口が増えたのでしょうか?
それは・・・人間が生きていくために必要な塩を、日本が手に入れたからなんです。
1894年(明治27年)~1995年(明治28年)に、大日本帝国と大清国との朝鮮半島をめぐる戦争「日清戦争」がありました。
その戦争に勝ち、日本は、清の国から塩を輸入することができるようになったんです。安い岩塩も大量に入ってきました。
それで、日清戦争の後、急激に日本は人口が増えたんです。
でも、その急激な人口増加に対し、農業で生計をたてている家では、田畑となる土地が足りない。それで、農家の二男坊、三男坊、四男坊・・・は、日本を離れて一旗上げようと、移民、ということになったんですね。
その後、1904年(明治37年)に始まった日露戦争のときには、政府が財源確保のためもあり、塩の販売を専売制にするようになったんです。
ところが、1941年(昭和16年)に始まった第二次世界大戦のときに、塩の輸入が途絶え、需要が緊迫してしまいました。
そのため、1944年(昭和19年)より自家製塩制度が認められるようになりましたが、戦後、輸入が再開され、1949年(昭和24年)には、また専売制が復活。
そして、国内で安価な塩を大量に、ということで、1971年(昭和46年)、日本国内のすべての塩田を廃止し、イオン交換膜製塩法による塩化ナトリウムの精度の高い国産塩の専売が行われるようになりました。
海辺にあった塩田地域は、工業地帯に姿を変えました。
そのおかげで、日本は、工場で働くという仕事口ができ、農地がなくても、人口増加に耐えられるようになり、経済が発展し、人口が爆発的に増えたんです。
そして、その結果、日本の経済発展、高度成長を支えてくれた方々は、2人に1人、ガンになるという事実。
塩がなければ生きていけない。その基本を忘れたかのように、日本では、今、病気にならないようにと、減塩、無塩が叫ばれている・・。
塩がなければ生きていけない。その基本を忘れたかのように、日本では、今、病気にならないようにと、減塩、無塩が叫ばれている・・。
なんか変ですよね。
4千年の歴史を持つ東洋医学では、「鹹味(えん味)」、つまり、しょっぱいもの、海のものは、腎臓によいとされているのに・・・。
国産塩を安価に大量に作るということを目標にして、不純物として無視されてしまった海水中のマグネシウムやカルシウムというミネラル成分。
本来の「塩」とは違う塩がまかり通ってしまった日本なんですね。
その日本では、2002年(平成14年)に、塩の生産・販売が完全自由化されたというわけです。
塩の歴史は長いですが、日本の「塩」への知識・理解は、まだまだです。私も、がんばらないといけません。