江戸時代の庶民の本草学「本朝食鑑」における各地の塩の品定め | 橋本三奈子のSalt Revolution(わじまの塩に魅せられて)

江戸時代の庶民の本草学「本朝食鑑」における各地の塩の品定め

10日から始まった二子玉川ライズ「東急フードショー」地下1階の「Ocatte」での能登半島ランチイベントも、今日が最終日になりました。

昨日はたくさんのブロガーさんがいらっしゃってくださいました。みなさん、ご来場、ありがとうございました。

みなさまのご紹介などはイベント終了後に書きますね。もうひと踏ん張り、がんばります。

さて、昨日、ご紹介した江戸時代の庶民の食べ物を対象にした本草学の本「本朝食鑑」(平凡社・東洋文庫)。

本朝食鑑

今日は、この中の「食塩」の項をご紹介します。

食塩は「水の部」の海水の次に紹介されています。

最初に塩づくりの方法が紹介されていますが、そこは省略して、日本各地の塩の品定めが次のように書かれています。

(※)は、私の注記です。読みにくくなる漢字はひらがなに直して紹介します。

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さて今、播州(※今でいう兵庫県。赤穂のあたり)の海浜では盛んに製塩しているが、気は柔らかく美味で食物とよく調和する点で、海西の一級品である。

これを海西諸州(今の九州)では最もよく使用している。

その他では、例えば四国・中国の海浜でも塩を焼くけれども、播州の産には及ばない。

北海でも、各地の浜で塩を焼くが、よいとはいえない。

ただ、若州(※今の福井県)・越前(※今の石川県と福井県の北部)のはややよい。

江東(ひがしかんとう)(墨田川より東の地方を指すか。「本草綱目」に「江東」を多様するのでまねたのであろうか)の諸海浜でも塩を焼き、駿州の田籠(※今の静岡県田子の浦)、奥州の松嶋(※今の宮城県松島)は、昔から塩焼きの浦として有名で、歌人も歌に詠んでいる。

けれども、まったくよいとはいいきれるわけではない。

ちかごろ、武州の業得(※今の千葉県の行徳)で、盛んに塩を焼いている。

海が遠く、柔らかである。物をよく調味するけれども、保存にはむかない。

上総(※今の千葉県)の海浜の塩焼きは、潮が盛んで気は猛く、塩も厚峻で食物の保存によい。

このことから結局、日用の食物の調味には播州・業徳(行徳)の産を、幾年も塩蔵する食物の調味には総海(上総や海西諸州)の産を用いるべしということになろう。

江都(えど)は、天下の物の集まるところで、播州や海西の塩も至らぬということはない。

(中略)

塩の一種に、焼塩というものがある。

白塩を再び瓦器(素焼きの器)に入れ、口をおおって炭火でよく焼けば、色は雪のように白く、形は軽く、味は淡く性も柔らかなものになる。

ただ、醤鼓の味を助けるには、いま一つである。

(醤はひしおみそ。米、麦、豆などを醗酵させ、塩を加えてならしたもの)。鼓は味噌、納豆の類。)
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「赤穂浪士」の事件は、江戸時代、三河の吉良の塩と、良質な赤穂の塩との、塩の製造法をめぐる塩戦争だったと堺屋太一は書いていますが。

この時代、すでに、各地の塩の優劣や、調味や保存への適性などが学問として述べられていた、ということは、驚きですね。

この本の中で、よい、ややよいと書かれている、播州赤穂(兵庫県)の塩、越前(石川県)の塩。

どちらも、日本の魚醤や発酵文化を生んだ産地なんです。

赤穂といえばタイ、越前といえばブリ、やっぱり美味しい魚介類が獲れる海域なんですよね。

原料となる海水も違ったのでないでしょうか。

(残念なことに、播州赤穂は、政府の塩田廃止政策により、塩田をなくし工業地帯となり、現在のいわゆる赤穂の塩は、輸入塩を溶かしてニガリ分を加えた再生加工塩となってしまっています。)

なお、本文中、塩が「厚峻」であるという意味は、正確にはわかりませんが、「猛」「峻」という漢字から、どうも塩辛さのきついものだったのではないかと想像します。

つまり、塩化ナトリウムが多かった。だから、殺菌、消毒力があり、保存に適していたのでしょう。

焼塩も、高温で焼くと、塩が炭化し、柔らかいものにはなりますが、マグネシウム分が消えてしまいますから、発酵には適さない塩なので、発酵食品には、向かないということだったのでしょう。

当時、もちろん、ナトリウムやマグネシウムといった概念はまだない時代ですが、経験や習慣の知恵ですね。

今の人は、ここまで塩について、理解されているでしょうか?

「本朝食鑑」の「食塩」の項の紹介は、明日に続きます。