(1)輪島大祭2011…石川県輪島市海士町のお祭り(奥津比め神社大祭)
8月22日~25日まで、石川県輪島市に行ってきました。
この期間は、1日づつ、輪島の海士町、河井町、鳳至町のお祭りがあり、まとめて「輪島大祭」と言われています。
私は、初めての輪島のお祭り体験でした。
夏のお祭りは、どこの地方のお祭りも面白いですが、輪島のお祭りも、民俗学的にも興味深いお祭りです。
まず、22日、23日は「わじまの海塩」のふるさと、舳倉島のある海士町のお祭り。
このお祭りの期間、舳倉島の住人はみんな輪島市内にやって来て、島の住民は8名ぐらいしか残っていないようです。
舳倉島には奥津比め神社という神社があるのですが、輪島市内の海士町にも同じ奥津比め神社があります。
8月22日にこの神社からお神輿が出て、御仮屋で一晩過ごし、8月23日に戻る、というもの。
途中、「御神輿入水神事」と言われ、お神輿をかついで海に入る儀式があります。ここに見物のお客さんもたくさん集まっていました。
では、ご紹介。輪島市にある砂浜・袖ヶ浜キャンプ場に、お神輿が降りてきます。
顔に紅を塗り、赤や青の腰巻で女装した男性が、御神輿をかつぐという変わった風習。
舳倉島にいる女神と輪島市内にいる男神がたいまつの明かりを頼りに年に1度会うというのがいわれだそうです。
すでに汗で流れてしまっていますが、髪に色をつけたり、お化粧をしたりして、腰巻をつけているのがわかりますか?
町の中に「組」がいくつもあり、組によって、Tシャツの色が違っています。紫色は青年団。
浜についたら、いったん休憩し、奥津比め神社の神様(天狗様)によるお祓いも。
「虎之介」という和太鼓のパフォーマンスもありました。
パフォーマンスが終わると、さあ、入水です。
「やっさぁ、やっさぁ」という威勢のよい掛け声とともに神輿をかついで海に入っていきました。
沖へ進もうとする神輿を、子供達が綱を引いて陸地へ戻そうとするやりとりがあり、そのやりとりが長ければ長いほど、その年は豊漁になるとされているそうです。
神輿は4回ぐらい海に入っては陸にあがり、を繰り返していました。
そして、また、御仮屋に向かってお神輿が運ばれていきました。
午後10時すぎ、御仮屋の前にキリコが集まります。キリコについては、明日、説明します。
海士町のお祭りは、キリコはそれほど盛り上がらず(?)、やはり、入水神事の方がメインのようです。
8月23日、御仮屋から出たお神輿は、また夕方に同じ袖ヶ浜に来て、「御神輿入水神事」をしました。
この日は、あいにくの雨でしたが、海に入っていきます。
海に入ったり、陸にあがったり・・・。
けっこう肩まで海につかります。お神輿を濡らしてはいけません。
往復6回ぐらい繰り返していました。
そして、陸にあがって、お神輿を奥津比め神社へ担いでいきます。(車で先回りして待っていました)
最初に、お神輿の上にあった、神様が宿っているという鳥の飾り物を外します。
お神輿をかついで階段を登って行きます。
無事に、お宮にお神輿が収められました。
ここの海士町のお神輿は外者(そともの)がかつぐことはできません。
土地の人が、回りの人に、こいつは自分の血筋のものだ、と認めて宣言しないと担げないそうです。
ダイナミックなお祭りでした。
この期間は、1日づつ、輪島の海士町、河井町、鳳至町のお祭りがあり、まとめて「輪島大祭」と言われています。
私は、初めての輪島のお祭り体験でした。
夏のお祭りは、どこの地方のお祭りも面白いですが、輪島のお祭りも、民俗学的にも興味深いお祭りです。
まず、22日、23日は「わじまの海塩」のふるさと、舳倉島のある海士町のお祭り。
このお祭りの期間、舳倉島の住人はみんな輪島市内にやって来て、島の住民は8名ぐらいしか残っていないようです。
舳倉島には奥津比め神社という神社があるのですが、輪島市内の海士町にも同じ奥津比め神社があります。
8月22日にこの神社からお神輿が出て、御仮屋で一晩過ごし、8月23日に戻る、というもの。
途中、「御神輿入水神事」と言われ、お神輿をかついで海に入る儀式があります。ここに見物のお客さんもたくさん集まっていました。
では、ご紹介。輪島市にある砂浜・袖ヶ浜キャンプ場に、お神輿が降りてきます。
顔に紅を塗り、赤や青の腰巻で女装した男性が、御神輿をかつぐという変わった風習。
舳倉島にいる女神と輪島市内にいる男神がたいまつの明かりを頼りに年に1度会うというのがいわれだそうです。
すでに汗で流れてしまっていますが、髪に色をつけたり、お化粧をしたりして、腰巻をつけているのがわかりますか?
町の中に「組」がいくつもあり、組によって、Tシャツの色が違っています。紫色は青年団。
浜についたら、いったん休憩し、奥津比め神社の神様(天狗様)によるお祓いも。
「虎之介」という和太鼓のパフォーマンスもありました。
パフォーマンスが終わると、さあ、入水です。
「やっさぁ、やっさぁ」という威勢のよい掛け声とともに神輿をかついで海に入っていきました。
沖へ進もうとする神輿を、子供達が綱を引いて陸地へ戻そうとするやりとりがあり、そのやりとりが長ければ長いほど、その年は豊漁になるとされているそうです。
神輿は4回ぐらい海に入っては陸にあがり、を繰り返していました。
そして、また、御仮屋に向かってお神輿が運ばれていきました。
午後10時すぎ、御仮屋の前にキリコが集まります。キリコについては、明日、説明します。
海士町のお祭りは、キリコはそれほど盛り上がらず(?)、やはり、入水神事の方がメインのようです。
8月23日、御仮屋から出たお神輿は、また夕方に同じ袖ヶ浜に来て、「御神輿入水神事」をしました。
この日は、あいにくの雨でしたが、海に入っていきます。
海に入ったり、陸にあがったり・・・。
けっこう肩まで海につかります。お神輿を濡らしてはいけません。
往復6回ぐらい繰り返していました。
そして、陸にあがって、お神輿を奥津比め神社へ担いでいきます。(車で先回りして待っていました)
最初に、お神輿の上にあった、神様が宿っているという鳥の飾り物を外します。
お神輿をかついで階段を登って行きます。
無事に、お宮にお神輿が収められました。
ここの海士町のお神輿は外者(そともの)がかつぐことはできません。
土地の人が、回りの人に、こいつは自分の血筋のものだ、と認めて宣言しないと担げないそうです。
ダイナミックなお祭りでした。