(2)塩のうんちく話 by 『外交官のア・ラ・カルト』(近藤誠一著) | 橋本三奈子のSalt Revolution(わじまの塩に魅せられて)

(2)塩のうんちく話 by 『外交官のア・ラ・カルト』(近藤誠一著)

昨日 に引き続き、「外交官のア・ラ・カルト」(発行:2011年2月・かまくら春秋社)のご紹介。

輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-外交官のアラカルト

パリのユネスコ大使から、コペンハーゲンのデンマーク大使を経験し、現在、文化庁長官である近藤誠一氏のエッセイ集の「鯛の塩焼き」より、塩の歴史や文化についてのうんちく話を引用してご紹介します。

----
人類は塩のこうした価値を早くから直感し、信仰や儀式で無くてはならないものになった。

『聖書』では神と人との間にある聖なる絆を「塩の契約」と読んだ(『民数記』など)。

また、供物に塩を加えることを禁じ(『レビ記』など)、塩は穢れを祓うものであることを示した(『列王記』下)。

「あなたがたは、地の塩である」(『マタイによる福音書』)という有名な言葉は、こうした塩のもつ価値を総合的に象徴しているように見える。

塩の不変性は友情の象徴でもあり、またスタンダールの『恋愛論』は、ザルツブルグの塩の廃坑に、葉を落とした木の枝を放り込むと、2,3ヶ月で見事な結晶になることを、恋愛の精神的作用の比喩として使っている。

日本でも塩は相撲や料亭で「清め」の役割を果たし、またその力への信仰から、弱い子は塩売りと仮の親子関係を結ぶという習慣もできたという。

フランスには、「人を良く知ろうと思ったら、その人と山のような塩を食べなければならない」という諺がある。

食事を重ねることで、次第に打ち解けてお互いが分かってくるという意味だが、食事には、目に見えないが必ずわずかの塩が入っているところに注目している。

外交官にとって社交の食事は楽しみであると共に、実は大きな負担でもあることを物語っている。

昨年ユネスコで、ある決議案を全会一致で採択するに当たり、普段孤立気味のある国を説得しなければならないことがあった。

私が偶々その国の大使と食事を重ねて親しくなっていたことから、説得できた。

塩を若干加えることでお汁粉の甘みが増すように、表面には決して出てこないが裏で全体に貢献する、日本独特の「隠し味外交」と言ってもよいかもしれない。(2008年4月)
------

教養豊かな著者ですね。日付を見ると、近藤誠一氏が、ユネスコ日本政府代表部特命全権大使のときに書かれたエッセイのようです。

フランスのことわざ、面白いですね。

フランスでは、主婦の常識として、「岩塩よりも海の塩、海の塩の中ではゲランドの塩、ゲランドの塩の中では、フルール・ド・セル」と言われているそうです。

「わじまの海塩」はそのゲランドの「フルール・ド・セル」と、ナトリウムとマグネシウムのミネラルバランスが類似しているんですよ。

そのミネラルバランスというのは、人間の血液のミネラルバランスと同じなんです。

料理にとって、健康にとって、何がいいのか、習慣的、経験的に知っているフランスの主婦の知恵ですね。