地震当日に持っていたもの | 橋本三奈子のSalt Revolution(わじまの塩に魅せられて)

地震当日に持っていたもの

地震当日の話を書きます。

普段は約束の時間というものがあり、それに合わせて、バタバタと外出するのですが、その日に限って、約束の時間はなく、緊急性はないけれど、今日のうちに行っておけば後が楽、というぐらいの用事でした。

緊張感がなかったせいか、忘れ物ばかりして、3回ぐらい、玄関と家の中を行ったりきたり。おかげで、だいたいこの時刻に出ようと予定していた時刻から、40分ぐらい遅くなりました。

そして、電車に乗り、最寄り駅から一駅のところで、停車中の電車で地震にあったのです。(予定通り行って出ていれば、市ヶ谷ぐらいに行っていたかもしれません。)

車内で、すぐテレビやニュースなどを確認した人たちから「マグネチュード8.8の地震」という声があがりました。

安全確認のため電車が止まっている間にも、余震が続き、「これは、しばらく電車が止まりそうだし、動いてもまたすぐ止まりそうなので、今日は無理して都心に出ない方がいい」と判断し、電車を下りて、改札を出て、徒歩で帰宅しました。

私鉄の一駅だから、歩いてもたいしたことのない距離です。地震発生後30分ぐらいで帰宅したと思います。

どんなに食器が割れているだろうかと心配したわりには、食器棚も本棚も無事でした。

そして、先日のブログでも書きましたが、原宿で買い物をしていた次女は、先輩の営むカフェ「セブンストリーム」に早々とお世話になり、そのまま泊まることに。主人からは、やはり早々に会社に泊まると連絡がきました。

盛岡に住む長女とだけは、連絡がとれず、一晩をあかしましたが、運良く、娘の働く駅ビルの本屋さんのツイッターが見つかり、ケガ人が一人もいなかったことを知り、一安心。翌日には、盛岡市内は停電も解消され、メールと電話が通じました。

テレビの映像で、海の怖さ、津波の怖さを再認識しましたが、今回は、被害のなかった日本海側の石川県輪島市の製塩所はもちろん無事です。

友人・知人と連絡を取り合うと、みんな、帰宅難民で苦労されたり、食器棚や本棚が倒れて大変だったり、親族と連絡がとれなかったり・・・。

自分は、何事もなく、ただただ幸運でした。

そして、昨日のブログで書きましたが、地震から4日たって、ようやく電車に乗って外出しようと、地震の日に持っていたカバンの中を確認すると、ハっとするものが出てきました。

何かというと、これです。ピラミッド型に結晶した塩です。

輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-ピラミッド塩

地震の前日にお会いした方に渡そうと、小さいケースに入れてカバンに入れ、渡し忘れていたことすら忘れていて、カバンの中に入っていたままだったんです。

こ、こ、これが私を守ってくれたに違いない。

強運を呼ぶパワーソルトですね。自分でもびっくり。

この塩は、輪島の製塩士・中道肇が塩作りの初期のころに、仙台の塩竈神社の宮司さんに相談したところ、「これは神のお作りになるもの。けっして、これを販売してはいけない。これでお金儲けをしたら罰があたります」と言われた塩の結晶なんです。

このパワーソルト、こんな時期なので、少しでも心の支えになるのであれば、欲しいという方に、販売するのではなく、お分けしてあげたい!と思うのです・・・・。

・・・が、今は、この結晶、皆様にお分けするだけの数がないんです。

作ろうと思っても作れないのが、この形の結晶。まさに神からの贈り物なんです。

神様お願いって思っているうちは出来ず、我欲をなくし、無欲でいれば、そのうち自然に出来るかな~と思っています。

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被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

また、被災地で働く防衛・消防関連の皆様、発電所・送電所を守る電力会社の皆様、鉄道会社の皆様、救援物資を運ぶドライバーの皆様、停電対応で徹夜でコンピュータサーバーを守るIT企業の皆様・・・、感謝申し上げます。