日本経済新聞の連載小説「等伯」と能登の塩
日本経済新聞の朝刊の連載小説に、1月22日から安部龍太郎氏の「等伯」が掲載されています。
等伯というのは、安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した絵師・長谷川等伯。石川県能登半島の七尾出身です。
国宝中の国宝とも称される水墨画の最高峰 「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」、金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)の至宝「楓図壁貼付(かえでずかべはりつけ)」を残しています。
こちらが、国宝・松林図屏風(右隻)。
(東京国立博物館のホームページ
より)
そして、こちらが、「楓図壁貼付」。
(東京国立博物館のホームページ
より)
昨年2月には、没後400年記念として、上野の東京国立博物館で「長谷川等伯」特別展が開催され、盛況だったそうですから、ご覧になった方も多いと思います。
30代で上洛し、豊臣秀吉や千利休らに重用され、一躍時代の寵児となった等伯。
戦国の世にあって「天下一の絵師になる」という夢を抱き画業に打ち込んだ等伯の生涯を、歴史的事件を背景に描かれていくそうです。
1月23日の連載開始の第2回では、都に出たいと夢を持つ等伯が、能登半島の塩を運ぶ塩船に乗り込むシーンが書かれ、そこにこんな記述がありました。
「製塩は能登半島の有力な産業のひとつである。中でも奥能登の塩田で作られる塩は品質がよく、食用や海産物の塩漬け用として越中や飛騨方面で珍重されていた」
第4回では、能登の塩を飛騨高山に運ぶため、石川県の七尾港から、富山県の氷見市岩瀬に塩船で行き、そこから馬の背で、飛騨高山に塩をはこぶルート、別名「ぶり街道」が紹介されていました。
そうなんですよね。能登の海水塩は、海に面していない内陸の地方では、命の糧。食糧を保存するという意味でも、貴重なものだったんですよ。