番外編:御茶ノ水・茗溪通りのアートピクニック写真集 | 橋本三奈子のSalt Revolution(わじまの塩に魅せられて)

番外編:御茶ノ水・茗溪通りのアートピクニック写真集

先日のブログに載せましたが、11月9日・10日に開催された「御茶ノ水アートピクニック」。


撮っていた写真のご紹介をしていなかったので、もう1週間前のことになってしまいますが、ご紹介しますね。


「わじまの海塩」出店風景、再び。


輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-御茶ノ水アートピクニック

私のうしろに、いくつもの顔のイラストが貼り出されているのがわかりますか?


これは、「学生が描く100人の店長似顔絵コンテント」の作品。茗溪通り商店街にある店の店長さんや会社の方、医院の院長先生などの似顔絵です。


この中に、私のブログに、たびたび登場する弊社・瀬川昌威顧問のお兄さんである、瀬川小児神経学クリニックの瀬川昌也院長の似顔絵がありました。


神田駿河台にある東京デザイナー学院の学生さんが書いた似顔絵。



輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-瀬川昌也院長

いかがでしょう?写真の雰囲気がよく出ていますね。


現在、この小児神経学クリニックが入っている御茶ノ水駅前の茗溪通り・瀬川ビル(丸善が入っているビル)は、もともと「瀬川小児病院」だった場所。瀬川顧問の曽祖父にあたる瀬川昌耆(まさとし)先生が明治35年(1902年)に開設した病院です。


似顔絵コーナーの隣には、御茶ノ水の歴史に関わる人の紹介があり、この瀬川昌耆(まさとし)先生の写真と説明も貼られていました。


輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-瀬川曾祖父


瀬川昌耆先生は、日本の小児学の祖と言われる方。ドイツ留学のときに、森鴎外(森林太郎)や北里柴三郎と一緒に写っている写真も残っています。



輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-森鴎外と瀬川昌耆

(「森鴎外と医学留学生たち―日本近代医学の源流」第15回「森鴎外と瀬川昌耆・尾澤主一」(著・山崎三夫・大塚薬報)より)


小説「赤ひげ」のモデルだったのではないかと言われているお医者様だったそうです。瀬川顧問、この「ひいじいちゃん」が、自分に『塩』というテーマを与えたのではないか」と時々言っています。


さて、話がそれてしまいましたが、こちらは、10月9日のJAZZ祭り「ミュージックフェスティバル」に参加の宇崎竜童さん。


輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-宇崎竜童さん


デキシーランドジャズというクラシックジャズのバンド。ボーカルやトランペットとMCを。


輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-宇崎竜童さんのバンド


メンバーの一番年上は70歳ということです。このメンバーでアメリカのニューオリンズに行ってライブをするのが夢ということでした。


こちらは餅つき大会。この通りにある「太陽」さんの催しです。


輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-餅つき大会


こちらは、瀬川ビル内にある日本フレーバー・フレグランス学院が出展していた、オリジナル香水づくりのコーナー。この写真では様子が伝われないかもしれませんが・・・。


輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-手作り香水教室

こちらは、水彩画体験教室。


輪島の塩に魅せられて大手IT企業を飛び出した女社長の奮闘記-水彩画体験教室


その他、自作の油絵の展示販売や、手作りの手芸品の販売コーナーや、道路にチョークでお絵書きするコーナーや、1000人参加の日本一のスケッチ会(予約が600名以上。朝の雨のため参加は200名強)や、その青空品評会など、もっといろいろあったのですが、写真を撮る隙がなく、これぐらいな紹介になってしまいました。


商店街のイベントといっても、文化と歴史の街・御茶ノ水らしいオリジナリティのある催しでした。


そして、スケッチ会での優秀作品は、本日17日より、以下に展示されています。


10月17日~25日 「文化と歴史の街・御茶ノ水を描く」100人展 明治大学アカデミーコモン1F

10月26日~11月26日 商店街プチ展覧会(穂高、瀬川ビル、レモン画翠)


御茶ノ水には、学習塾も予備校も大学も専門学校もあり、個人病院も大病院も薬局もあり、飲食店もあり、企業もあり、楽器店もあり、古本屋もあり、スポーツショップもあり・・・。いろんな年齢層、いろんな目的の方が集まっているので、普段でも、活気のある街なんですよ。