聖書の中に出てくる「塩」・その2
クリスマスにちなんで、聖書に出てくる塩の話の第2弾です。
「初めに、神が天と地を創造した」で始まる旧約聖書の創世記に、すでに以下のように、「塩」の記載があるそうです。
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「そのとき、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の主のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。」(創世記 19:24-26)
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これは岩塩でしょうかね。。
他にも、旧約聖書には、「塩の海」「塩の谷」「塩の町」「塩地」「塩穴」という表現が出てくるそうです。
スラエル、ヨルダンのそば、アラビア半島北西部に「死海」という塩湖があります。
この死海のそばに、ソドム山、ロトの妻の塩柱と呼ばれるものが、まだ残っているそうです。
一般の海水の塩分濃度が3%なのに対し、死海の塩分濃度は30%もあるそうです。
死海の海岸に沿って、自然にできた塩が打ちあげられているといことですので、当時も、この死海の塩が流通していたのではないかと思われます。
また、太陽熱によって海水が蒸発して自然にできた塩なので、岩塩には含まれていないマグネシウムをはじめとする各種のミネラル成分が含まれていたのではないかとも思います。
イエスキリストが起こした奇跡の中で、病気を治す、傷を治す、というものがありますが、私は、キリストは、この死海の塩を持って、塩のない奥地、あるいは岩塩しかない奥地を訪ね、その土地の人に、その塩を食べさせたり、傷に塗ったりしてあげていたのではないかなと思ったりしています。
ところで、日本の「古事記」の中でも、イザナギ、イザナミの二神様が天の浮橋に立ち、天の沼矛(あめのぬぼこ)を海にかきまわして引き上げると、矛(ほこ)の先からしたたり落ちる塩が重なり積もって淤能碁呂島(おのころじま)になり、二神様はこの島に降りて、夫婦の契りを結んで、島々や神々を生み出した、という国生みの話が出ています。
天地創造のころ、人の住みつく場所に塩があった、塩があった場所に人類が住むようになった、ということがわかって、とても、興味深く思います。
